千里ニュータウンの大先輩

2週間ほど前の写真になりますが…こちらは千里山霧が丘団地。千里ニュータウンにさきがけて1957年から開発された「住宅公団」(現UR都市機構)の最初期の団地です。
春は団地全体が桜に埋もれるようになる様子は、さすが50年の「風格」!50年ですよ。半世紀!もちろん建物は老朽化もしているでしょうけれど、今出来のマンションが逆立ちしてもかないっこない「町の貫禄」がここにはあります。鉄筋コンクリートの建物は冷たいなんてトンデモナイ、町ってのは建材だけじゃ語れないと千里山を通るたびに思います。
千里山という町は西側が大正期からイギリスのレッチワースをモデルに開発され、関東大震災で関西に逃れてきた人たちが多く住んだことから言葉も東京弁が多かったとか。戦後は東側にこの団地ができ、やがて終点だった電車がニュータウンに延長され…。レッチワースと言えば泣く子も黙る「世界最初のニュータウン」であり、この千里山地区は千里ニュータウンには入りませんが、その歴史はまさに「ニュータウンの大先輩」と言えるものです。
この団地と駅周辺もいよいよ近々再開発が始まり、道路などもかなり付け替えられて広く整備されるようです。この緑、風情、たたずまいをできるだけ壊さないような…「文化を継承する再開発」のモデルになってもらいたいものです。千里ニュータウンは、千里山の背中を見ているんですから…。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (2)

    • てつ
    • 2007年 4月 26日

    霧が丘ですか?私も桜の画像を撮影しに 千里山に行きましたぁ だって 虹ヶ丘で生まれたんだもん(^^)
    建て替えに向け とても人が減って あの ぼんぼりをつける作業はたいへんだと聞きました
    霧ヶ丘 虹ヶ丘 星ヶ丘 月ヶ丘 の よっつでしたっけ?^_^;

    • 奥居武
    • 2007年 4月 26日

    千里山団地は「霧が丘」「虹が丘」「星が丘」の3つで、「月が丘」は団地の外側のようですね。「松が丘」ってのもあるなあ。道路がだだっ広く、やたらと整頓されたNT育ちには、千里山はお隣でありながら一度入り込んだら迷ってしまう不思議なゾーンに映ります。やっぱり「キリ」のせいでしょうか…?「霧」「虹」「月」っていう名前は、NTとはまた違う…宝塚にも似てるけどそれとも違う…少しノスタルジックな別世界感があって、地図を眺めるだけで想像がふくらみます。

好評発売中!

CITY LIFE刊のムックガイド。「歴史文化」「まちづくり」の取材が丁寧で大充実。「北千里を歩く象」の記事で協力しました。こちらから購入できます。

好評発売中!

樹林舎刊の写真集『吹田市の昭和』の千里ニュータウン部分を中心に、コラム執筆や写真のアレンジ、事実関係の確認などを担当しました。限定1,500部。書店でお申し込みください。

好評配布中!〔無料〕

千里ニュータウンの最新状況がわかる「千里ニュータウンマップ2018」の制作をお手伝いしました。このマップは南千里駅前の「吹田市立千里ニュータウン情報館」で配布しています。2013年版も在庫があります。

好評発売中!

吹田市立博物館とパルテノン多摩の2018年共同企画「ニュータウン誕生」の展示・図録制作をお手伝いしました。図録購入(吹田版)はこちら。多摩版はこちら。(内容は同じです)

アーカイブ

ページ上部へ戻る