戸建区画に建てられた「分譲済」の札。
こういう風景を見るとどこか記憶の中のスイッチがカチリと入る気がするのは…5歳だったでしょうか…1964年に千里ニュータウンへ越してくる前に、やはりこうやってまだ何もない造成地に「下見」に連れられてきた時のことを、うっすら覚えているからかもしれません。
佐竹台で入居開始後2年がたって、ニュータウンの評判も安定してきていたのか、父はあっちこっちの区画の抽選に申し込んでいたと思います。5歳でそんなことを覚えているのは、藤白台と古江台と2つ同時に抽選に当たってしまって、イトコに「1ついりませんか?」と大胆なはがきを書いて笑われたのを覚えているからです。カケモチして申し込んでよかったのかどうか…?それもわかりません。2つ当たるぐらいだから「天文学的倍率」ではなかったんでしょうね。
当時とは異なり「人口減少時代」に入った日本で、このように分譲地を広げていく作業がどこまで続くのか…?5歳からこんな景色を覚えている「ニュータウン育ち」の僕にもなんともわかりません。人口が減ると言っても一様に減るのではないし、「都市部は人口を吸収し続ける」と考えても、首都圏はいいとして関西圏がどれぐらい吸引力をもてるか、ビミョーだからです。
同じ「グレーター千里」の住民としては、彩都に新しい生活が広がっていけば…と願いたいです。
後方はすでに生活が始まっている高層住宅と戸建住宅。中層住宅(5階建て程度)が多い千里ニュータウンとは異なり、ここ彩都ではあまり中層住宅はありません。

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コメント

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  • コメント (2)

    • pigmon
    • 2008年 1月 31日

    そうか、奥居武さんところも2つ当たったんですね。うちの両親も、もう千里NTに引っ越していたのに、そこへ他に申し込んでいた区画の(第二補欠が繰り上がって)当選(になった)通知が来たと言っていたような。。。

    • 奥居武
    • 2008年 2月 01日

    当時はルールが大らかだったんじゃないでしょうか?第二補欠が繰り上がったということは辞退した人もまたいたわけで、熱心にあちこち申し込む人、当たったのにやめる人と、高度成長期の熱気を感じる話ではあります。「生駒山が正面に見える」という理由で藤白台の区画にしたのですが、もし古江台のほうを選んでいたら、このブログも「アラウンド・古江台」になっていたかも…?

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