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「人生フルーツ」な週末(高蔵寺ニュータウン50周年)

名古屋の高蔵寺ニュータウン50周年の記念講演を聴きに行ってきました。+『人生フルーツ』を感じる独自まちあるきも(実際は大急ぎ弾丸ツアーでしたが…)。

「日本初の大規模ニュータウン」千里が、「公団初の大規模ニュータウン」高蔵寺に与えた影響がこれまでよくわからなかったんですが、公団の津端さんのもとで働いておられた土肥博至さん、若林時郎さんの証言で、そこがはっきりわかったのが今回の大きな収穫でした。

高蔵寺の計画段階で、唯一先に進んでいて姿を現していた大規模ニュータウンは、千里(多摩も泉北もまだ姿を現していません)。そこで津端さんが千里を見に行ったわけですが、とても不機嫌になって帰ってこられた。なぜかというと、千里が忠実に守った「近隣住区理論」の現実化を目の当たりにして、「これは自分たちがやりたいことではない」とはっきり認識したから。

つまり「近隣住区理論」は「住区」という単位を重視して、そのユニットをつなぎながら開発を進めていくわけですが、その裏には、もし途中で計画が頓挫したら、後発の住区から開発をやめればいいという現実的な計算があった。「そんなことでは駄目だ!」というのが、モダニストであった津端さんの信念。住宅地をつないでいけば都市ができるのか?そんな安直なことではないだろう。ニュータウンは「住宅地」を造りたいのではなく、「都市」を創るものでなくてはいけない。全体で一つの都市になっていなくてはならない。…だから高蔵寺では、「近隣住区理論」ではなく「ワンセンター方式」を強く打ち出すことになった。…つまり高蔵寺にとっての千里は、反面教師的な位置づけだった、という衝撃的な証言でした。

「大阪府」と「公団」の方針の違いについては、「囲み型配置」と「南面平行配置」の対立がよく知られていますが、もっと大きな都市骨格の部分で「もうひとつの対立」があったことになります。

たしかに公団がその後手がけた多摩や港北では、千里ほど「住区」の単位はハッキリしていません。…それは高蔵寺の考え方を引き継いで「全体としてのつながり」をより重視しているからです。またモータリーゼーションが進展し、日常の買物行動は住区単位の近隣センターで完結する…という考えも現実と合わなくなっていきました。

しかし一方では、高蔵寺でも補助的な近隣センターは置かれていますし、「初心」と「最終結果」には大きな開きがあります(そのあたりの挫折感は『人生フルーツ』でもわずかに示唆されています)。多摩や港北の大きさになると「ワンセンター」というわけにもいきません。逆に千里でも、千里中央への集中はだんだん顕著になっていったので、現実は2つの理論の対立を呑み込んでいったと言えるでしょう。

「高蔵寺ニュータウンという言葉は計画から59年たった今も生きていて、住まい手に受け入れられている。それはもはや新しいという意味のニューではなく、固有名詞だ。高蔵寺、多摩、千里は、人間の理想の町を作ろうと、それぞれの熱をもって造られた。これからも自分の言葉として、使っていってほしい」という若林さんのメッセージはとても胸に響くものでした。

高蔵寺ニュータウンの計画とその後については、50周年記念出版のこちらの本がお勧めです!

写真は弾丸ツアーで撮り忘れたので、半年前に行ったときの、津端さんも楽しまれたであろう高蔵寺の秋の情景から。

この投稿は2019年3月2日にfacebookに投稿した文章に加筆したものです。

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