千里「中央」という駅名の先進性

「千里中央」という駅が開業したのは万博に少しさきがけた1970年2月24日、今の千里阪急ホテルの前あたりの中国道東行き車線上にあった仮駅でのスタートでした。大阪市内から万博会場まで直行輸送を行うために、半年間だけ、まだ全通していず通行量が少なかった中国道の車線を半分つぶして仮設の線路を敷き、千里中央駅もその線に沿って地上の「仮駅」を設けていたのです。現在使われている地下の本駅は、万博が終わった翌日の9月14日から使われ始めました。

びっくりしたのは、その駅名です。南千里、北千里…ときたら、「西千里」とかになるのかなと思っていたら、いきなり「千里中央」っていうじゃありませんか。開業直前までこの周辺は無人の造成地で、「中央」っていうのはすごく違和感がありました。周辺の団地は一部入居が始まっていましたが、千里中央駅ができるまでは、北千里までバスが出ていたのです。もう、めちゃくちゃ寂しい場所でした。それが駅開業と同時に、千里のバス路線体系は名前のとおり「千里中央中心」に再編されたのです。

もう一つの違和感は「○○中央」という聞き慣れないネーミングでした。日本語は通常、上から下に修飾していく語順で、「千里中央」という名前は「北千里」「南千里」とは逆の語順になっています。

この「○○中央」っていう名前、今は全国にありますが、ひょっとしたら千里中央から広がったのでは?と思い、名前がついた時期(駅ができた時期 or 改名された時期)を調べてみました。世の中には「○○中央」駅ばかりを訪ね歩いてみた方がレポートも丁寧にまとめておられて、おおいに参考になりました!(こちらをご覧ください)

千里中央 1970

●ニュータウン系の駅名
泉中央 1992
千葉ニュータウン中央 1984
並木中央 1989
和泉中央 1995
日生中央 1978
ウッディタウン中央 1996
西神中央 1987
みどり中央 1998
伴中央 1994

●ニュータウン以外の駅名(1970よりあと)
月寒中央 1994
発寒中央 1986
紫波中央 1998
伊奈中央 1983
千葉中央 1987
八千代中央 1996
三郷中央 2005
いずみ中央 1990
港南中央 1976
碧南中央 1981
高井田中央 2008
須恵中央 1989
佐世保中央 1990
鹿児島中央 2004

●ニュータウン以外の駅名(1970より前)
横須賀中央 1930

※このほか、万博開催中の臨時駅として設置された駅名
万国博中央口 1970 (大阪万博)
万博中央 1985 (つくば科学博)

…どうやら「○○中央」駅はニュータウンに多く、千里中央より古い「○○中央」駅は、京浜急行の横須賀中央駅だけらしい…ということがわかりました。横須賀中央駅はニュータウンではなく、国鉄の横須賀駅と離れた場所にありながら「横須賀で降りたい人はココ!」と示すために「横須賀中央」としたようです。「高槻市」「茨木市」「西宮北口」などと同じ、案内上の便宜を考えた名前ですね。

「○○中央」という名前は(横須賀中央だけは例外ですが)、千里中央からほかのニュータウンに広がって、やがてそれ以外の市街地の駅にも広がっていったのではないでしょうか。ニュータウンという計画都市には、必ず「中心」があります。周辺の境界は、ハッキリしている場合と、にじんでしまっている場合がありますが、どんな場合でも中心はハッキリしています。

そんな駅名のストーリーからも、千里ニュータウンの影響力は全国の都市計画に対してとても大きかったことが推測されます。

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コメント

    • 中村調子ノリ
    • 2020年 3月 23日

    千里中央 いい名前ですね~
    自分にとっては 物心ついた時からそこに北千里も千里中央もあったので
    どちらも違和感ありませんでした

    今は 神戸の西神中央駅から近いトコに住んでいます(ホンマは少し離れています)が
    千里中央と作り方のイメージは似ている感じがします

    地下鉄の終点駅があって そこを中心にして 周りに住宅地が広がっています
    ちょっと小さめの百貨店(西神そごう)があって 専門店街があって…
    スイミングスクールもあります 病院もあります
    違うとすれば工場がポツリポツリとある点でしょうか…

    西神そごうは閉店されるそうです

      • 奥居武
      • 2020年 3月 24日

      日本のニュータウンは、ことごとく千里ニュータウンの「後輩」だと思っています。言い替えると改良型ですね。西神そごうの閉店は残念ですね。関西で最後の「そごう」になってしまいました。あとにいいお店が入るといいのですが…

    • アズアズ
    • 2020年 3月 24日

    少し違う話になる事をお許し下さい。
    コロナウィルスのせいで心がスッキリしないインドアな生活が増える日々の中で本ブログに出会え、ワクワクしながら千里ニュータウンや万博関連を一気に読ませて頂きました。本当に楽しい時間でした。

    私は1959年生まれの60歳。3歳の時に工事現場だらけの千里ニュータウンの住民に。大学卒業、就職して北摂を離れ転勤で国内外を転々。3年前に退職して千里南地区センタービルの跡地に建ったマンションに戻ってきた出戻り組です。千里南地区センタービルは本当に素敵なデザインのビルとして記憶に残っています。私の母親も言っていましたよ。あのエスカレーターは偉い人が来た時だけカバーを外して動く。
    出戻り組の私には千里ニュータウンの街並みは白黒写真のような思い出とカラー写真の現在が混ざった感覚を与えてくれます。玉川学園幼稚園の前を通る際には幼稚園の歌を思い出す不思議な事も起こります。高野台、佐竹台にある使われないバス停の秘密を私は知っているとニャリとする事も。残念ながら市民博物館等での幾つもの関連イベントに参加するチャンスは逃してきましたが、これからは広く千里ニュータウンと関わっていくチャンスがあればと考えています。

    最後に、千里中央駅の名前を初めて聞いた時の感想も凄く覚えています。吹田の千里ニュータウンは先輩、豊中の千里ニュータウンは後輩。「後から出来たのに中央はおかしいやろ」

      • 奥居武
      • 2020年 3月 24日

      それは貴重な場所にお住まいですね。南千里、一時期よりにぎわいが戻ってきたような気がします。やはり建替が進んでいる効果でしょうか。60ということは僕と同じですから、体験実感も共通のものがあるでしょう。今後ともよろしくお願いします。

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