開発の村(沖縄・石垣島明石)

沖縄・石垣島の東部~北部にかけては第二次世界大戦後に入植・開拓された新しい村が続き、どの集落へ行っても「開拓の碑」や「入植記念碑」が村の中心に見られます。
こちらは明石(あかいし)集落の「入植20周年記念・開拓の像」。昭和30(1955)年入植と刻まれてありました。「開拓之碑」と、「開拓の詩(うた)」という歌碑と、3点セットで公民館の前の一番いい場所に…。
開拓の詩(うた)
みどりの資源 海の幸 未開の沃土 地下の富
琉球の宝庫 八重山
産声高く 明石に 集う我等は 開発移民
世紀の波に 今乗らん
未開の歴史 返り見て 開ける道を 示さんと
故郷を離れてはるばると
逢えば一つの 水心 宝庫を開く 無限の力
欲を忘れて一手一つ
若い血潮は みなぎりて 共にひらかん 眠れる資源
真実つくす時ぞ 今
スクラムくんで 開発に 地の利を生かす その時に
永遠の楽土は築かれん

この碑の向かい側には次のような碑文も…
地の利は 人の和に如かず
米軍占領下で、今のように舗装された道路があるでもなく、島の中心部からは40kmも離れていて、まだマラリアもあり、開拓者の苦労はどれほどのものがあったかと心に響いてくる重い言葉でした。「開発移民」という言葉を見て、大阪・千里ニュータウンの中心も当初は「千里開発センター」だったなあと…(都会者の苦労などカワイイもののような気もしましたが…)そこには何か共通する精神があるようにも思えました。
何もかも自分たちで作る、自分たちで作らなくてはならない…喜びと重さが、同時にあったのだろうということです。

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コメント

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  • コメント (2)

    • みっちゃん
    • 2008年 5月 10日

    36年前に西表島で宿泊させてもらった川平メガンサというおばあさんが話してくれました。「わしらがこの島を開拓したんだよ。だから、島のもんはみんなわしらのもんだ。」と自分が作ってもいないパイナップルを取って食べさせてくれました。

    • 奥居武
    • 2008年 5月 10日

    36年前…沖縄返還の年ですね。そのころの沖縄は遠かったでしょう!僕は1985年から沖縄に通い始めましたが(今にして思えば返還後13年しかたってなかったわけですが)、返還前後の沖縄を見たかったと思うことがあります。まもなく沖縄返還の日ですね。

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