父が亡くなりました

昨晩、父が亡くなりました。「古いもの」へのこだわりや愛着が人一倍強かった父でしたが、最期は仏様か神様に「もうこだわらなくてよいぞ」と許されたかのように、苦しみを感じる暇もなく、あっけないほど一瞬のうちに行ってしまいました。
思えば88年の生涯のうち、ちょうど後半の44年をニュータウンの藤白台で暮らしました。3年前に亡くなった母もそうでしたが、生涯のうち一番長く住んだのはこの千里ニュータウンでした。育った郷里よりも、ずっと長く。私は父に連れられてこの千里ニュータウンに来ました。なにもなかった藤白台。湖に面した田舎の小都市の旧家に育ち、戦前的な考え方をずっと持ったままの父だと私は思っていましたが、このような未開の土地を選んだ父は、けっこう新しいもの好きであったのかもしれません。父の会社はプラスチックの新製品を作っていました。カラフルで、成型が自由で、軽くて腐らないプラスチックは、まさに1960年代の「未来」を象徴する素材でした。
父にとっての「新しい世界」はどんなものでしょうか。私も、父がいない「新しい世界」を生きていかなくてはなりません。あさって、父は成長した紅葉が歳月を感じさせるようになった千里ニュータウンから旅立ちます。

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コメント

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  • コメント (14)

    • おーぼら
    • 2008年 11月 26日

    9月に入院なさって2ヶ月でしたね。当時私も義父の介護でS国に行ってたことを思い出しました。その義父は介護保険を十二分に使って10月末に自宅で安らかに息を引取りました。
    奥居武のパパも2ヶ月の病院生活でしたが上手な最期だったようですね。
    私たちも“最期のあり方”を考えつつ老後を過ごしていきたいものです。その前に突然最期がくることも想定してカードやPC,Yahooなどの暗証番号を家族にわかる場所に残しておくことは家族に対する最高の思いやりだと考えています。
    ご愁傷さまでした。

    • XS
    • 2008年 11月 27日

    「父にぼけられて」を読んだとき、うちの父みたいになられたら大変よ、と案じておりました。子孝行なお父様、というより何より尊敬する親が壊れていくのは、本当につらいもの。お父様に「早くお楽になられてよかったですね」とお声をかけたいです。きっと奥居武の「新しい世界」が確実に広がっていることを見届け、安心して旅立たれたのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

    • 奥居武
    • 2008年 11月 27日

    執着しない気質の母が4年闘病し、万事粘着質の父が2ヵ月であっさり行ってしまったのですから人生はわかりません。杖にすがるように弔問に来てくださる方や、電話をすると(奥様が知り合いなのに)「主人はおりませんので…」と認知症を思わせる応対をされる方に「高齢千里」を実感しています。それでもこういうことがあると、近隣社会の温もりの中で父も母も生きてきたことを有難く思います。「パスワードの解除」はハイテク社会ならではの継承の課題ですね。父はローテクのまま生涯を終えたので、その点はノープロブレムでした。

    • 健ちゃん
    • 2008年 11月 27日

    心よりお悔やみ申し上げます。
    私は母は13年前の阪神大震災の2週間前に
    父は3年前の12月に亡くしました。二人の死に目には会えませんでした。母は退職前の躁鬱病による縊死、父は膠原病による突然死。ともに孤独な死を迎えました。変な言い方ですが、
    御両親の最期を看取られた奥居武さんが羨ましいです。この世に私を現し存在させてくれている両親に最後の感謝と別辞を告げられなかったことが今も心の負い目になっています。
    父上様の御冥福をお祈りいたします。合掌

    • 奥居武
    • 2008年 11月 27日

    つらい思いを聞かせてくださってありがとうございます。子供がきちんと生きていくことが、親にとっては最大の孝行なのでしょうね。

    • akakage
    • 2008年 11月 27日

    ご冥福お祈りいたします。
    ありきたりな言い方なのかもしれませんが、お父様のご意志は奥居武さんに引き継がれているのではないでしょうか。未開の地や未来のお仕事を選ばれるセンスも含めて。
    私の父は平均寿命からすると早く、67歳で亡くなりました。大変でしたが、悔いはなく、今は父より長く生きてやろうと思っています。

    • おーぼら
    • 2008年 11月 28日

    奥居武さま、今夜も会議がありお通夜に行けなくて申し訳ありません。すぐ近くで合掌してました。
    akakageさま、お久しぶりです。私の父は78歳で他界しました。追い越せるのか…少々不安です。

    • 奥居武
    • 2008年 11月 29日

    温かいお言葉、ありがとうございます。昨日、無事父を見送ってつつがなく終了いたしました。街路の色づいた銀杏がとても美しく、これをたどっていけば迷わず天国へ行けそうでした。父親がなくなってからも、息子は父親の背中を見て歩いていくものかもしれないですね。

    • みっちゃん
    • 2008年 11月 29日

    お目にかかったことがなかったのですが、遺影を拝見し素敵なお父様でいらしたことが分かりました。お寂しくなられますね。
    私も父を失ってから、かえって存在の大きさに気付きました。親の生き様は、何時まで経っても子どもに影響するものなのでしょう。
    ご冥福をお祈りします。

    • 奥居武
    • 2008年 11月 29日

    どのような親子関係であっても、子が親に持つ「負い目」のようなものは、ずっと消えることはないのだろうと思います。命を貰って育ててもらったという絶対的な関係に、何かを返すすべなどあろうはずがないからです。何かできる方法があるとしたら、たぶん「順送り」しかないでしょう。私は(今のところ…)独身で子供がありませんから、人間だけができる「DNA以外で情報を伝える」という手段で、何が順送りできるのか…?それにしても秋の夕暮れは気持ちが沈んでいけませんね。お坊さんが読んでいただいたお経に「散る時が~浮かぶ時なり蓮の花~」とあって感じ入りましたが、こんなときはどの一言も胸に沁みます。

    • 霧子
    • 2008年 11月 30日

    奥居武様
    しばしば訪問させていただき、その素晴らしい
    文体に感じ入ってます。
    お父様がお亡くなりになられたとの事、心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。
    ・・子が親に持つ「負い目」のようなものは、ずっと消えることはないのだろう・・
    私も五年前に母親を亡くしまして、その「負い目」を今も引きずっております。
    ・・何かできる方法があるとしたら、たぶん「順送り」・・そうかも知れません。
    何を順送りできるのか、これからの課題としてみます。
    寂しさが癒えましたら、また色々教えて下さい。ますますのご活躍をお祈りいたします。

    • 奥居武
    • 2008年 12月 04日

    どうもご返事が遅くなりました。ご愛読ありがとうございます。どうも「悲しい」「寂しい」と言うか、頭がボーッとしてしまいますね…やらねばならない事務手続も山ほどあって、あまり呆然としているわけにもいかないし、仕事にも戻らないといけないのですが…(少しづつ行き始めています)。寂しいのはいやだけど心静かにしてはいたいのに、ただでさえ周囲は師走で、どうにも雰囲気がかみ合わない気分です。ああ、1ヵ月ぐらい休めたらな~。亡くなった人は「棺の蓋覆いて事定まる」なのに生きている人間は慌しさから逃れられないのですね…。

    • Mukusan
    • 2008年 12月 11日

    八ヶ岳は厳冬の人を寄せ付けぬ静かな季節を迎え、避寒のためずっと東京にいます。しばらくブログを拝見していなかったので気がつきませんでした。お父上のご逝去、謹んでご冥福をお祈りします。

    • 奥居武
    • 2008年 12月 11日

    冬の八ヶ岳は美しいでしょうね。息子は海好きですが父は山好きで、どこかの山頂でピッケルを持ってポーズしている写真が部屋に飾ってあります。雲海の向こうに富士の山頂が見えるのですがこの位置関係は…?「昭和十六年十二月六日贈」と書かれていて、開戦の2日前じゃないか!(撮られたのはそれより前でしょう)自然と比べたら人はちっぽけなものだと思いますが、自分より大きな存在に囲まれていることもまた幸せかも。
    東京か八ヶ岳か大阪か、どこかでまたお会いできますように。

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