南千里と春日(下新田)を結ぶ道の途中にある砂子谷新池(すなこだにしんいけ)。「新池」という名前からも察せられるように人造の池で、江戸時代のはじめ、春日(下新田)が開拓されたときに農業用に造られたようです。千里ニュータウン周辺の池にしては珍しく平坦な場所にあって、満々と水が張られています。今も農業用水として使われているのかもしれません。
春日(下新田)はもともと上新田とセットで三島郡新田村を形成していましたが、1953年、下新田は吹田市と、上新田は豊中市と合併しました。分村合併になったのは交通の便からだということですが(もちろん当時は千里ニュータウンも新御堂筋もありません)、もとは山田村から上新田に人が分かれ、さらに下新田に分かれたということです。
池の左が、3月に開通した新道。昔からの旧道は、この写真を撮っている位置から池を時計回りに回り込んでいき、新道とクロスします(新道が開通してクルマの通過量が減り、静かになりました)。池の正面が新御堂筋方面。池の右が、南千里中学校(この学校の住所は桃山台四丁目ですが、例外的にニュータウン計画区域外です)。いろいろな時代の「ニュー」や「新」が交錯する砂子谷界隈。春の光をたたえてのどかです。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (2)

    • なおき
    • 2010年 4月 11日

    過去の航空写真を見ますと、写真左のUR千里春日台団地
    はありませんでした。そのかわりURがある場所に、こじんまりした ため池がありました。もちろん千里新田小や南千里中は、蔭も形もありません(笑)ただ、砂小谷新池の北東側山上は、山を切り開いている様子でした。

    • 奥居武
    • 2010年 4月 11日

    国土地理院の「国土変遷アーカイブ」というサイトで、戦後いろいろな時代の航空写真が見られますね。こちらは1948年。
    http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M27-2&photono=78
    砂子谷新池が半分埋まって見えること、春日大池が2つに分かれていたこと、旧道の曲がり方は今と同じなこと、たしかに下新田は千里山に、上新田は熊野田に近く、分村合併になった理由が推察できるなど、見ていると飽きません。このサイトで1964年の写真を探すと、出現したての未来都市・千里ニュータウンが空から見られます。

好評発売中!

CITY LIFE刊のムックガイド。「歴史文化」「まちづくり」の取材が丁寧で大充実。「北千里を歩く象」の記事で協力しました。こちらから購入できます。

好評発売中!

樹林舎刊の写真集『吹田市の昭和』の千里ニュータウン部分を中心に、コラム執筆や写真のアレンジ、事実関係の確認などを担当しました。限定1,500部。書店でお申し込みください。

好評配布中!〔無料〕

千里ニュータウンの最新状況がわかる「千里ニュータウンマップ2018」の制作をお手伝いしました。このマップは南千里駅前の「吹田市立千里ニュータウン情報館」で配布しています。2013年版も在庫があります。

好評発売中!

吹田市立博物館とパルテノン多摩の2018年共同企画「ニュータウン誕生」の展示・図録制作をお手伝いしました。図録購入(吹田版)はこちら。多摩版はこちら。(内容は同じです)

アーカイブ

ページ上部へ戻る