駅ネタが盛り上がるので別アングルでもう一枚…藤白橋のつけねから新しくなった改札口を見たアングルです。
駅開設当初は、この写真左手の壁に(売店のあたりから)ずらりと券売機が並んでいました。北千里は世界初の自動改札機ばかりクローズアップされるけれど当時のスローガンは「全自動化駅」で、どの金額の切符でも買える「多機能型」の券売機がずらりとあることだけで、1967年当時は画期的だったのです。
「多機能」と言っても回数券や定期や他社連絡切符まで買えたわけではありません…そのころは「梅田行き80円の大人切符だけ」「天神橋行き70円の大人切符だけ」を専用で売る「単機能型」の券売機がやっと少しはあった…というぐらいだったのです。(北千里駅には梅田行き、天神橋行きの切符だけを売る単機能型機も1台ずつありました。)
今、新設のサービスセンターが張り出してきている正面は、改装前までは柱のあたりまで駅務室がとびだしていて(改装前も撮っとけばよかったな…)…たしか…最初はそこに回数券や定期を売る窓口があったような気がします。定期券売場の位置は何度も変わっています。最初の駅長室の位置は改札を入った正面、いま改札内の売店があるあたりとその裏側でした。
これが何度かの改装で券売機は正面左にあった壁面に移って左は壁だけになり手前に売店ができ…駅長室は改札を入った左奥に移って定期券売場と一緒になりました。
それが今度の改装で正面柱左側の壁は撤去され、券売機はほぼ最初の位置に戻りました。改札口全体が向かって左にずれたような感じで、もともと改札機が置いてあった正面右手はふさがれて電飾の地図が左の壁から引っ越しました。
一時期は改札右側に学生専用の「フリーゲート」があった時期もあります。これは「指定学校の最寄駅では制服を着てればいちいちチェックしなくても信用で通す」という大胆なしくみで、金蘭とかが対象校になってたんじゃないかな…。いまは全駅で自動化が徹底して、カードの記録は「乗車→降車」が必ずセットで入らないといけないので、このしくみはなくなりました。
いま北千里駅に券売機は3台しかありません。これは言うまでもなく「スルッとKANSAI」とか「PiTaPa」などのカードが普及したためで、駅ではどこでも切符を買う人が券売機の前で行列をつくって混んでいた…のも過去の景色になりました。
売店はいま、改札の外と中に1つずつありますが、最初は改札の向かい側、いまオアシスが改札前に張り出している(この写真右手で写っていない)ところに大きな売店がありました。
ふう。以上、土地の古老からのレポートでした!
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (6)
40年前に売店ってどの辺にあったんでしょうか?思い出せない…{%トホホwebry%}
ここに改装前の動画があった。
http://www.youtube.com/watch?v=UC1fdtrH-u4
始まってすぐ、ぐるっとカメラが回る時に一瞬映る、改札から見て向かって左正面、オアシスの売り場が手前に飛び出してカゴとか置いてある場所です。その左隣に今はATMがありますが、最初はコロンバンの小さなお店もありました。
35年前、駅の定期券や回数券を売る窓口だったと思いますが、阪急ブレーブス友の会の入会手続きをしました。懐かしい~。
そんなこともやってたんですね…ブレーブスなつかしいなあ。
話題が逸れますが先日、ニユースで銀座で40数年振りに都電が復活するかもと報じられていました。中央区が人口増が著しい晴海付近の大量輸送手段として地下鉄の1/10の予算でしかもエコな乗物として都電を選んだそうで、来年度の予算に調査費を計上する予定だそうです。北千里-箕面間に(都電の様な)”府電”ができたらなぁ…地図見ながら想像してます{%うっとり(ぽわん)webry%}
富山や鹿児島など中規模の都市では、路面電車が見直されて超モダンなことになってます。この話にしても東京晴海の話にしても、共通するのは「コンパクトシティ化=都市中心部に人を呼び戻す」という発想ですね。千里は「便利な郊外」というビミョーなポジションで、これから人口はどうなっていくんでしょうか…?ちなみにこれが晴海関連の情報ですね。
http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/kasukadari/2011/02/lrt-3613.html
2020年代か…。