「世界のニュータウンに照らし千里ニュータウンを考える」

「世界のニュータウンに照らし千里ニュータウンを考える」という身に余るお題をいただいたセミナー、無事満員で終了しました。元からニュータウン以外(仕事関係)で存じあげていた参加者の方から「あんなにニュータウンに染まっているとは思いませんでした」という感想をいただいてしまいました…。

「染まってる」って、前回の東京オリンピックの年(1964年)から住んでいるので、これが僕のデフォルトなんですけど。やれ「ニュータウンの子供は神社もお寺もお祭りもなくて地蔵盆も知らなくて可哀相だ」とか憐れむように言われたりするわけですが、たしかに地蔵盆ってアラカンになった今でもピンとこないですが、そんなもの知らなくても人はちゃんと育ちますから!(…この程度にしかならないけど…それは僕個人の限界であって…)

※ちなみに「あんなに染まっているとは」と言った方は泉北ニュータウン育ちです。

セミナーのお題をくださったN先生からは「ニュータウンがあたりまえという感性は面白い」とたぶんほめていただいたのだと思いますが、広告屋やってる時も「感性が面白い」って、なかなか言ってもらえなかったなあ…

N先生曰く「工学系は新しい都市を作ることにたえず前向きだったが、社会学系はたえず懐疑的で、工学と社会学の間でニュータウンの評価は引き裂かれてきた」「ニュータウンは大きくて、目立って、なにもかも極端なので批判の的になりやすい」とのこと。そういうことなのか…。

ニュータウンに関する評価のアップダウンは、一世を風靡したアイドルが、一転して「あの人は今」扱いされるようになるのと、似ているような気がするんですよね。アイドルは実力派になれるかどうか、という話なんですが。50年ではまだ短い、100年かけて3世代ぐらい回転すれば町として落ち着くと考えると、「三代目でやっと江戸っ子」という言い方の根拠もわかってくる気がします。

「ニュータウンはいつ普通の町になるのか?」っていう問いをよく聞くんですが、「普通の町」って、なんなのか?「普通の町」なんて、あるのか?ニュータウンであることは「町の出自」であり個性であって、なぜわざわざ町の個性が消えることを願うのか?…逆に言うと、茅葺きの農家だって昔の規格住宅であって、今のプレハブとどう違うのか?…どうも「ニュータウンvs普通の町」という図式は、ニュータウンへの偏見が入っているような気がしてならないです。

この投稿は2018年9月23日にfacebookに投稿した文章に加筆したものです。

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