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過去の記事一覧
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過去のことは、過去のこと。(震災30年)
1月後半に体調を崩してしまったのは、15日に大学最後の授業を終えて安堵したうえ17日に(震災当時住んでいて被災した)芦屋と神戸を寒中歩き回った疲れもあったのでしょう。「記念日症候群」と言って、つらいことがあった同じ日付… -
悲しみを祈りと力に変えるアート(神戸ルミナリエ)
1月29日のことになりますが、神戸ルミナリエに行ってきました。よく知られているようにこのイベントは阪神・淡路大震災への鎮魂と再生への祈りを込めて1995年12月に始まり、(コロナ禍下の休止回を含めて)今回で30回目にな… -
performing artsで地域の記憶を記録する(千里考今物語)
千里ニュータウンは「変わっていく町」です。抜群の立地に恵まれ、地域全体が寂れていく心配はおそらくない代わり、人や資本がたえず流れ込み、変わっていくことを止められない。そういう運命なのだと思います。(日本初のニュータウン… -
とても贅沢な離れの庭
半月前になりますが、1月31日、万博記念公園の自然文化園を設計された吉村元男さんの新著「奇跡の万博公園」(マルモ出版)の出版記念講演会が中之島公会堂でありました。不肖私も千里ニュータウン在住の「隣人」として、千里ニュー… -
万博の森についてお話しします!(1/31)
講演会のお知らせです。日本最大の人工の森…「万博の森」を設計された吉村元男さんがこのたび『奇跡の万博公園 いま、半世紀のレガシーを問う』という大変立派な本をお出しになりました(マルモ出版)。その出版記念講演会。1月31… -
落せん(苦せんのあと)
年の初めから厄落としということで…。前回ご紹介した千里ニュータウン入居時の「補欠当選」はがきをわが家が手にするまで、こんなプロセスもあったということです。時は1964年。西部劇の一シーンのような未開・未知の造成地であっ… -
すべてはこの1枚から始まった(NT入居から60年)
もはや歴史的資料ということになるのでしょう、1964年、私の父が千里ニュータウンの宅地分譲抽選に応募して、何度目かのトライでようやく「補欠当選」した時の通知はがきです。当時、千里ニュータウンは知る人も少ない「山奥の新興… -
普通の市場に心が和む(ニュータウン育ちとしたことが)
(2024年3月の訪問記です。) ようやくラマダンの日が暮れて、やってきました「スーク・ワキーフ」。ドーハの中心部にある巨大市場です。インコ、じゅうたん、金、衣料品…あらゆるものが売っているし、飲食店もよりどりみ… -
それほどイタリアが好きなのか?(ドーハ・ヴィラジオ)
(2024年3月の訪問記です。) 炎天下、ラマダン下で人もいないニュータウン(ザ・パール・カタール)を歩くのも疲れたので、メトロを乗り継いで別の郊外地区にある大きなショッピング・モール「ヴィラジオ(Villagi… -
ここはヴェニスかリビエラか…(ザ・パール・カタール)
(2024年3月の訪問記です。) ドーハ郊外の「国家の目玉的」都市開発「ザ・パール・カタール」。行ったのがラマダン期間中でまるで人通りがありませんでしたが、歩き回ってみました。すると…ややっ!これはヴェニスのカナ…
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