「山田上」と「上山田」と「山田下」と「下山田」
- 2007/7/21
- 千里ニュータウン, 周辺地域
- まちの記憶
- 2 comments
きのうのブログへのコメント…「みっちゃん」さんの疑問「山田上・上山田のように山田下・下山田も同じことなんでしょうか?」にお答えします。
たしかに「山田上」と「上山田」と「山田下」と「下山田」の4種類があることになりますね。この位置関係を概念図で示すと、こうなります。1955年まで吹田市の北半分は「山田村」という独立した自治体でした。今の藤白台はもちろん、千里北地区全部も、今「山田」と地名にあるところも、万博記念公園になっている所も、千里丘も、五月が丘も、全部「山田村」。「山田」が含む地域はとても大きかったのです。旧山田村は5つの大字にわかれ、それが「山田上」「山田中」「山田小川(こがわ)」「山田別所」「山田下」。●「山田上」は今の千里北地区全部、上山田、阪大キャンパス、万博公園の西半分の広大な地域を含み、●「山田下」は千里丘から今の五月が丘までを含む、やはり広い地名でした。
今、佐竹台と五月が丘の間に「山田下」という交差点があるのは、その名残り。「下山田」という言い方は阪急バスのバス停にあり、このバス停も40年前の地図には出ていますが、山田村の中心から来ると「山田下」に入って最初のバス停だけれどそのままでは広い「地域」をさすことになってしまうから、「地点」を示すために「下山田」という名前を創作したんじゃないでしょうか?(昔のバス停の名づけ方はけっこうオオザッパです。)
「山田上」「山田下」という大字は、まず千里NTに入った地域が「○○台」に変身し、残りも1970-80年代に住居表示で今の町名に変わって消滅しました。「上山田」は逆に住居表示で誕生した新しい言い方ですが、昔の地名の名残りを残そうとしたのでしょうか?阪大キャンパスの「山田丘」も、住居表示で創作された新地名です。
みっちゃんさん、おわかりになりましたでしょうか?…ところで今の「五月が丘北」の旧称は「大字山田下字杏谷(あんずだに)」で、自治会の名前に昔の小字名が残ったようですね。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (2)
有難うございます。
今まで山田下・下山田がどう違うかが分かりませんでした。これで、すっきり。下山田が後からできた名称なんですね。でもややこし過ぎますこの名称。
「山田」のように広い範囲をさす地名は、さまざまなバリエーションができるもののようです。「千里」だって、「千里」と「千里丘陵」と「千里丘」と「千里山」のさす範囲が違うって、地元以外の人にはなかなかわからないでしょう。千里丘方面と山田を結ぶバス路線は戦前からあるようなので、「下山田」っていうバス停がいつ頃からあるのか?かなり古い可能性もあります。なんと阪急京都線が京阪時代だったころは京阪バスの路線だったそうです。