いきかう人たち

ふじしろ幼稚園前の風景に戻って、ちょっと一服…。
朝は阪大に向かう人の群れが左から右へ、金蘭に行く人は画面奥へ、上山田から小学校に通う子供は右から手前へ…と、藤白台の中ではもっとも都会的?な風景を演出する一角です。幼稚園のスクールバスも走ってくるし、右手の保育園へ子供の手を引いてくるお母さんも…。
大阪大学が吹田キャンパスへの移転を開始したのが1968年、最初に工学部だけが移ってきました。工学部は当時としては十分奇抜なコンクリート打ち放しの校舎で、今のようにキャンパス内の緑も全くなく、それはそれは殺風景で…だいたい学生数が少なかったから、とても寂しい感じがしたものです。以来、20年以上をかけて少しづつ学部移転が進められ、最後に医学部病院が堂島から移ってきたのが1993年。今では吹田キャンパスは1万人規模とも聞きますから(全員が同時にいるわけじゃないけど)、まあ、賑やかになったものです。
このアングル、僕は小学生の時から見ていて、学生のデモ隊が画面右から左へ横切っていったのも覚えています。1968年か1969年…移転間もなくだったことになりますね。僕が唯一「ナマで見た」大学紛争のヒトコマでした。このころ、京都などはクーデターもかくや?という騒然とした状態だったと聞いていますが(1969年には東大の入試が断念されたほど、大学紛争は苛烈をきわめたものでした)、阪大は(少なくとも吹田では)比較的静かだったように思えます。小学生でずっと地元にいた僕がデモ隊を見た記憶もそれ一回きりでした。
今にして思うと、あのデモ隊はキャンパスを出発して、北公園の中のクネクネ園路を通ってきたのか?金蘭前の道を迂回してきたのか?…と想像するだけで、迫力のほどが…だいたいデモは「世間に強く訴える」ためにやるもので、藤白台でそれをやっても広告効果が少ない感じがしてしまいますが、当時は大学ではどこでもそういうことをやっていたわけです。今の学生さんは、想像もつかないでしょう。
時は流れました。

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