沖縄は最南端の八重山諸島、石垣島から船で小一時間行った海上に、黒島という小さな島があります。ここは人口200人、牛2,000頭という畜産の島で、最高標高が15mというペッタンコの島ですが、6つある集落はいずれも海岸沿いにはありません。
江戸時代、八重山には「明和の大津波」といわれる大津波があり、波は最大30mとも80mとも丘を駆け上り、大きな石垣島でさえ1/3が冠水したと言われています。海底にしかないはずの岩が丘の高い場所にあることから、この伝承はある程度裏付けられています。このときに黒島も波をかぶり、新しい村を再建するときに波がかぶらなかった場所から内側に村を造ったというのです。「そのいちばんはしっこが、○○さんの家」と、村の人は教えてくれました。ちなみに明和の大津波は1771年。240年も昔です。小中学校は島の一番真ん中にあります。
沖縄の台風は毎年ハンパない激しさで、平たい島では毎年の防災を考えても潮がかぶらない場所で暮らす…ということが自覚されやすいのかもしれません。しかし海に囲まれながらいまでも海沿いに村をつくらないことが守られているのには驚きます。240年って、8世代から10世代分ぐらいです。
三陸ではこれから、どのような新しい町が造られるのでしょうか。そこに造られる町は、新しいタイプのニュータウンと言えるのでしょうか。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。