
1月29日のことになりますが、神戸ルミナリエに行ってきました。よく知られているようにこのイベントは阪神・淡路大震災への鎮魂と再生への祈りを込めて1995年12月に始まり、(コロナ禍下の休止回を含めて)今回で30回目になります。
長いあいだ旧居留地を中心に「すべて無料」で12月に行われてきましたが、暮れのかき入れ時に沿道の店舗を閉めてカンパと寄付金・協賛金だけで運営する枠組みがしだいに苦しくなり…これはただのライトアップではなく「鎮魂」が基本にあるので「有料にする」ことには強い抵抗感があったのだと思いますが…2024年からは時期を発災月の1月に移動し、商業への影響がないメリケンパークに大きな「有料ゾーン」を設け、旧居留地と東遊園地では縮小した「無料ゾーン」との組み合わせで行う形に変わりました。
平日の晩でしたが、大勢の人たちが寒いなか開門前から列を作り、海に面してスケールアップしたルミナリエを待っていました。
僕は地元(千里)で地域イベントにもかかわっているので、「同じことを続ける」ことの大変さはよくわかります。初心を守ること、費用の収支や人手の確保を釣り合わせること…誰にでも実生活があり、続かなくては「震災があったこと」を知らない世代に伝えることもできません。今の開催形態は、よく考えられていると思います。無料ゾーンも十分見ごたえがあるし、有料ゾーンは平日前売500円、当日1,000円ですからひどく敷居が高いわけでもありません。
何と言っても、アートの美しさは荘厳で、心を打たれます。アートには、悲しみを別の感情に転化する力がある。アートは「感情の飛び道具」なんですね。イタリアから持ち込んだ表現手法ではあるけれど「神戸らしい」と思ってしまう。洒落ていて「バタ臭い」からでしょうか。
12月を1月に変えてメイン会場を海際に持って行ったので「とても寒い」。でも、たしかにあの震災は(僕も芦屋で被災しましたが)「寒かった」のです。運営に関わる皆さんには頭が下がります。
地域は「共通の記憶」によって受け継がれていきますが、「共通の記憶」はうれしいことだけではありません。悲しいこともセットです。それをまるごと引き受けていくことが「継承」ということでしょう。
30年!30年はほぼ一世代です。神戸経済は今もまだ震災の負荷から脱出できていませんが、ルミナリエを知らなかった頃の神戸に負けない「神戸らしさ」が生み出されていきますように。
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