きょう23日深夜、2025年万博開催地が決まります。万博は「期間限定の」「先進的にとがった」ニュータウンのようなもので、EXPO’70濃厚経験近隣千里育ちとしては、やはり他人事とは思えません。最初に「2025年の万博に大阪が立候補する」と聞いたときは、正直言ってノりませんでした。偉大な万博遺産である千里万博公園の森をつぶして再造成するのだったら意味がないと思ったからです。しかし候補地が湾岸の夢洲(ゆめしま)に絞られて、わりと万博に近い職場に放り込まれて周囲が一生懸命になってくると(僕はあくまでも一般人ですが)、どうしても「万博好き」の血が騒ぎだしてしまいました。やっぱり…見たい!
賛否も当然あります。もちろん1970年とは時代がまったく違います。「あの万博をそのまま再現できたら」と言ってる人もいますが、僕はそうは思わないです(趣味的には面白いですが)。万博は未来志向の場であることが最低条件で、「見たこともない」ものが出てこないと!最終的には「自分が経験して圧倒的に貴重だと思ったことを、若い世代に『時代が違うんだからやめておいたほうがいいよ』とはとても言えない」と考えました。レトロではなく、2025年の万博をやる機会を創るのが、経験世代の役目だろうと。「熱意は1970年のときのように、中身はまったく新しく」、そんな万博が見たいです。
1965年~70年の地元千里のコミュニティペーパーを再読する機会がありました。意外だったのは、当時もけっこう「反対論」「懐疑論」は強くあったということ。「反博」「万博公害」という言葉もありました。見たこともない巨大なものが近所に来るのだから、それは当然です。「皆が諸手を挙げて大歓迎し、大成功に終わった」というのは「あとづけの解釈」で(子供は素直に喜んでたけど)、大人はそうではなかった…ということが、わかりました。
それでも万博は、未来像を具現化してくれました。半年で消えた後も「ああなるんだな」「ああ進んでいけばいいんだな」ということが「なんとなく体験的に」「大勢の人に」わかった。それが万博だったのです。そのことはとても重要です。きょう深夜、どうなるでしょう?いずれにしても時代のページがめくられます。(写真は空から見た予定地・夢洲)
この投稿は2018年11月23日にfacebookに投稿した文章に加筆したものです。
コメント
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私の勤めている会社の社屋からは、万博会場予定地のある夢洲がよく見えます。しかし、2年後にここで万博が開催されるとはとても思えないくらい、何も動いてるようには見えません。報道されているとおり、それは、前途の険しさを示すものかもしれません。
いずれにせよ、私はEXPO70の時、30回を超える回数、会場に足を運びましたが、今回はおそらく1回も行かないだろうと思います。それには、いくつも理由がありますが、万博を推進する組織に身を置く立場なので、今は言及しません。最終的に、会場候補地は夢洲と千里万博公園に絞られ、夢洲に決まったわけですけれど、あの時、再び千里万博公園に決まってたとしたらどうだったろうと想像を巡らすことがあります。
でも、現実にはレバタラはありせん。静かに事柄の成り行きを見守りましょう。