水遠池(ずいおんいけ)と上山田
- 2007/7/20
- 藤白台
- まちあるき, 公園
- 7 comments
ピアノ池は何度かとりあげたのに、水遠池(ずいおんいけ)がまだでした!
千里北公園の南端、大阪大学の吹田キャンパスと藤白台の間にある大きな池が水遠池。こちらはニュータウン開発前からあります。ここも藤白台五丁目ですね。開発前のたたずまいを今に残しています。
この池、僕が子供の頃は水辺まで入れたし池を一周する遊歩道も造られているのですが、いつの頃からか厳重な柵で水辺に近寄れなくなりました。
この池と阪大キャンパスの北に位置する一角が「上山田(かみやまだ)」です。元は何もない竹の丘でしたが、万博のときに臨時宿泊所のような施設が造られ、それが学生アパートに転用され…1980年頃からこの写真の正面に見える「アーバンライフ」を皮切りに、続々とマンションが建ちました。ここはニュータウン計画地域の中ではないのですが、学区は藤白台と同じく藤白台小学校→青山台中学校となり、いわゆる自治会などで「藤白台地区」というときは、藤白台と上山田のことをさします。町が若いため、今では藤白台小学校の児童の半分は、上山田から通っています。
間違えやすいのは、ニュータウン開発前のこの一帯の大字名が「山田上(やまだかみ)」だったことで、藤白台はもちろん北千里地区の全域、今の「上山田」「山田丘(阪大キャンパス)」、「千里万博公園」の西半分…という広大な地域が「山田上」でした。
今の「上山田」は藤白台と阪大と小野原に囲まれた小さな一角ですが、全部マンションなので人口収容力はバツグンです。藤白台に比べると若い上山田も、最初のマンションが出来てから25年以上たち、児童数は減り始めた…とのことです。その変化の足跡は、かつての千里ニュータウンを見ているようです。
コメント
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コメント (7)
そうでしたそうでした水遠池!
(知らないと絶対にずいおんいけとは読めませんよね!)
昔は水遠池の周りは池の周りをぐるりと出来ました。
ただ地道だったか砂利道だったかで、足元が悪かったような記憶があって・・・自転車でコケたことまで思い出しました!!(ウン十年も前なのに・・・(~_~))
そういえばザリガニ釣りもしたっけな。
今は昔と違い柵だらけでつまんないですよね。
危険回避の為、管理の為仕方ないのかなとは思いますが・・・。
教えてほしいのですが・・。
山田下って今も交差点表示であり、五月が丘のもとの住所でもあるんですよね。わが家が引っ越して来た時、大字山田下でしたから。
下山田の地名もあり、どうして違うのか分からないのです。
上山田もありますよね。山田上ってありましたか?
先ほどのコメント、訂正。山田上・上山田。のように山田下・下山田も同じことなんでしょうか。これが分かれば、長い間の疑問が解けます。
(#+_+)この池はなぜか記憶の引き出しから出てきません。父と弟の3人で何度か行っているはずなんですが…。やはり、一度”ふるさと”へ帰省しないとダメですね。
そうですねえ…団地の建替も始まりますから、早めに帰省されてもいいかもしれませんねえ…。
奥居武さん写真集出してくださいよ!
自費出版なら毎日新聞社でも相談に乗るって聞きましたよ。自分の目に焼き付けるのも大事ですが画像を文化遺産として後世に伝えるというのも大事なことだと思います。千里ニュータウンはそれだけの価値がある街だと思います(私は)。
熱烈なご声援、ありがとうございま~す。では3年後の参議院議員選挙に…というボケはさておき。たしかに千里NTは記録に値する街です。日本で最初のニュータウンなんですから。いま千里ではあっちでもこっちでも建替計画が進行しつつあり、「いま記録しておかないと…」と思うと、すごく焦るんですよね。紅葉を見ても桜を見てもアジサイを見ても「これと今の団地の組み合わせは今年が最後か~」と思うと…。でも仕事もありますので、まずブログから…。始めてみたら書きたいことがなくならないので、自分でも驚いてます。ニュータウンの本は、出したいですね。やはりネットとは違う魅力が本にはありますからね。