贅沢な公衆電話
- 2008/4/11
- 藤白台
- まちあるき, まちの記憶
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携帯電話の普及ですっかり使うこともなくなってしまった公衆電話ですが(同じテレホンカードが何年定期入れに入っているだろう…)、こちらは藤白台一丁目バス停前、桜の下のなかなか素敵なロケーションに立っています。
僕が藤白台に来た1964年当時、藤白台には携帯電話はおろか、家庭用の固定電話さえまだどの家にも通っていませんでした。(シンジラレナイような話ですが本当です!)ですから…たぶんその頃からこの場所にあった公衆電話は大活躍だったと思います。
当時は北千里の駅もなく、新千里山駅前(現・南千里)から来たバスは藤白台の中までも入ってこず、この交差点と、今の北千里駅前交差点と、今医療ビルがある角と、古江台センターの角だけをぐるりと回って新千里山駅前に戻っていました。(循環は両回りではなくどちらか片側だけだったのですがどっち回りだったか忘れた!)つまり藤白台住民のほとんどは、この「藤白台一丁目」で降りてエッチラオッチラ坂を上って峠のわが家に帰っていたので、この場所に公衆電話があることがすごく意味があったのです。
このタイプのボックスが普及したのは万博前後からなので、当初に設置されたのは、いわゆる「丹頂型」の電話ボックスでした。中の電話機はカードタイプなどもちろん未登場でしたから(カード式は1983年から)、10円玉しか使えない赤電話か青電話でした。(って言っても若い人はわからないか…?)
公衆電話は災害時には優先的に回線確保されるので、いまや「非常用に残してある」という性格が強くなっていますが、忘れられたようなボックスを見ていたら、藤白台の開拓時代を思い出してしまいました。
コメント
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コメント (4)
ここ数日、桜が美しい写真が並び楽しみに拝見しております。ところで「ソメイヨシノなんかクローン桜、○○とか○○(桜の名木といわれいるやつ)を見ると、ソメイヨシノなんか目じゃない」というようなことを言われると(実際、そういう桜は、味わい深く実に素晴らしいと感じますが)、NT育ちはいささかムッ。わたしが子どもだった頃は、春になってもやっと数輪、あるいは数十輪のささやかな花をつけるだけで、いつか桜吹雪のなかを歩いて学校へ行ってみたいなーとずっと思っていたので、いま、NT中の桜がリッパに育ったのをみると、感慨深いものがあります。名もなき千里のソメイヨシノだって、すてたもんじゃない、数で勝負だ!(?)
やはり春は、載せたい風景がたくさんあって選択に迷ってしまいます。千里では今年の桜はハゲハゲになってしまいましたが、このブログではあと少し桜(ソメイヨシノ)づくしでお届けいたしましょう!
恥ずかしながら
小学生の頃、友だちと公衆電話の釣銭忘れを探して藤白台を歩き回ったのを思い出しました。
まれに10円なんかを見つけた日には、走って近隣センターにあった同級生の親がやっていた駄菓子屋のガチャガチャに向かったものです(^_^;)
1970年前後の子供にとって「10円」はそこそこ使いでのある金額だったのでは?オイルショック以後物価が急騰し、バブル以降はゆるやかな長いデフレが続き、今また物価は上がり始めているようですが…。1970年当時と現在で貨幣価値は「ざっと5倍」だそうですが、今の子供にとって50円ってどんな価値があるんでしょう?