2枚の写真の間で(仙台空港再訪)
- 2011/11/6
- 災害体験
- 震災, 定点観測
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震災ボランティアと名乗るのも恥ずかしいのですが、仙台で仕事関係のセミナー+石巻で1日ボランティアというセットツアーを企画してくださる方があり、これはいい機会かも?と思い、2日間、行ってきました。
何度か書いていますが、僕は阪神の時に芦屋で震度7を経験し…震度7を経験したというのはやはり稀な経験ですから、「震災経験者」という自覚で繰り返し文章を書いてきました。それが自分の使命だと思ったし、不遜な言い方をすれば、自分の人生の中で、はじめて「発言する立場」をつかんだような気持ちになっていたのです。
しかし今回の事態はその次元をはるかに超えてしまい…「言葉を失う」というのか…自分の中で整理がつかなくなってしまいました。しかも「ニュータウンについて書く」ということは、町をつくる話を書いているわけですから…膨大に「町を失う」ようなこの事態に対して、避けて通ったままにもできない…。まずは自分の目で一度、被災の現場を見に行きたいと思ったまま半年以上がたちました。
おりたったのは仙台空港。僕は去年(2010年)、仙台周辺のニュータウンを見て歩くため、この空港に2回おりたっています。降りたことのある方ならご存じかと思いますが、この空港は海沿いに海岸線と直角に滑走路があり、海から降下していくアプローチが素晴らしいのです。きらきらと光る波、弓なりにずうっとつづく砂浜の海岸と松林、広がる青々とした水田…。
しかしその立地ゆえに、今回の震災で仙台空港は巨大津波の直撃を受けました。渦巻く濁流の中、空港関係者はようやく階上に逃げ延び、滑走路も周辺も全部水につかりました。
今回、空港はすっかりきれいに片付けられて再オープンし、ちょっと見た限りではそんな惨事があったことなど想像もつかないほど「普通」になっていました。きらきらと光る波のアプローチも、去年と変わることはありません。しかし松林は波にもぎ取られて残った松も茶色く変色し、やはり去年と今年の間に「それ」はたしかにあったのです。
美しい波型の屋根を持つターミナルビル。去年と同じ角度から写真を撮りました。本当に、ここまでよくきれいに戻したと関係者の努力に頭が下がりました。
小型機の便だったのでタラップを降りたつと見たことがある色のバスが!…これは大阪市営バスの色です。そうか、空港のバスも流されてしまったんだな…とあらためて「この間」にあった悲劇を思うと同時に、大阪からの応援が活躍していることをうれしく思いました。僕もがんばらなくっちゃ!
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コメント (4)
私も7月に会社のボランティア活動に参加し、岩手・大槌町に行きました。活動時間・日数が短くお役には立てなかった自分ですが、人生感を変える体験だったことは間違いありません。もう一度大槌町に行きたいと思う今日この頃です。
運動不足の五十男が1日働いたぐらいじゃまったく「大海に目薬」だなと思いますが、とにかく自分の目で見ることが大切かなと。石巻でのがれき撤去はかなり進んでいるようでしたが、多くの建物の1階部分は使えない状態で中心市街地にはひとけがなく、現地にはりついているボランティアの人たちは「見学でも観光でもいいから人に来てほしい。人が来ることで町はよみがえっていく」と言っていました。
こんなのでていましたよ。
http://www.osaka-kousha.or.jp/x-whatsnew/2011-07-06_fujishiroB-senrikyuuryouG/pdf/kekka.pdf
おおっと、ご親切にありがとうございます。そろそろだな…と気にしていました。これはじっくり検討しなくては…たぶんこれから半世紀…僕が藤白台に住んでれば生きている限り…つきあっていく「お隣り」になるわけですからね。