万博は終わってからが始まり

僕にとっては2度目の「地元での万博」が、終わりました。大きな事故もなく、終盤おおいに盛り上がって、笑顔の中で終わったことは何よりうれしいです!最終日も行っていましたが、最後の最後までは確認しないで帰ってきました。もう万博は「次の世代」の人たちのものになったからです。それが確認できれば、十分でした。

翌日は万博がらみで東京から来た友達が「千里の万博公園のほうも行きたい」というので案内しました。いいチョイスです!太陽の塔の内部EXPO’70パビリオンに行きました。EXPO’70パビリオンは当時の雰囲気がわかる大変充実した展示館ですが、平日なのに若い人たちがとても大勢来ていました!それも食い入るように見入ってビビッドに「すげー!」とか反応しているのです。きのう夢洲で終わったばかりのEXPO2025と、展示の中のEXPO’70を重ね合わせて見ていたのでしょう。今回の万博で、EXPO’70は「過去の万博」ではなく、繰り返し参照されるレガシーに近づいたのではないでしょうか。

僕が好きなのは閉会式の公式記録映像です。ネット上でも(おそらくアングラ版のものを)見られますが、1ドルが360円もして外国が遠かったあの頃、外国人スタッフに抱き着いて泣きじゃくる観客の思いは、遠くからわざわざ来てくれた人が、また手の届かない場所に帰ってしまう…という切実さにあふれています。まさに「今生の別れ」。「サヨナラじゃなくまたいつか」という今回のメッセージはカラッとしていて、世界がそれだけ近くなった時代の変化を感じます。世界が近くなるのは難しい問題も起こすけれど、おそらく「いい変化」なのだと思います。別れてもSNSで、いつでも近況がわかる時代です。友達を世界中に作ることも、不可能ではありません。

70年閉会式の記録映像でとくにグッとくるのは最終盤、空っぽになった会場に小学生の作文が重なるエンディングです。

万国博
六年五組 松田伊佐エ

にぎやかに開かれ
あっけなく終った
万国博
会場は
忘れさられたように
ひっそりしている
今度は
いつよみがえるのだろう
その日まで私はまつ

「その日まで私はまつ」。大阪は待ったのです。そして2回、やりとげました。それは大阪の人たちが…1970年が残したものを、大切に育ててきたからではないでしょうか。レガシーは、建物やIRだけではありません。「場所が残る、モノが残る、人が残る」と言われます。世界への友情、オープンな気持ちも「レガシー」です。友達のようになった人たちは、その思い出を胸に、また世界へ帰っていくのです。そのセンターに大阪があるならば、万博は何度あってもいいのかもしれません。千里は夢洲というサテライトを得て、セットで、次の世代の人たちが集まってくる場所になればいいと思います。

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