EXPO2025の話です。現在、公表されている「想定入場者数」は2,800万人となっています。さて、それではEXPO’70の時はどうだったのでしょうか?
EXPO’70の予想入場者数は、当初3,000万人とされていました。ところが万博協会は、この数字を開会半年前の1969年9月18日に一挙に5,000万人に修正します。なぜ開会前に数字を修正できたかというと、2次にわたった前売入場券の売れ行きや各企業・各国の反応などから、ブームの盛り上がりを察知したということになっています。
ところが開会してみると、それでも収まりませんでした。開会当初の3月は寒くて人出が伸びませんでしたが、ゴールデンウィークあたりからどんどん入場者が伸び、最終的には約6,422万人…6,421万8,770人を記録して9月13日(日)に閉会しました。閉幕の1回前の週末土曜日であった9月5日には、1日で83万5,832人の入場者を記録し、この記録は2010年の上海万博(10月16日(やはり土曜日)の103万2,800人)まで破られることはありませんでした。
この「伝説の9月5日」は事故を避けるため途中から入場を止めたものの、夕方には知らずに来てしまった人、帰ろうとする人がゲートで両方向から押し寄せてどうにもならなくなり、北大阪急行などは終電を延長してピストン輸送にあたりましたが運びきれず、数千人が会場内外で野宿したとされています。まだ暑い季節だったので、できたことです。
話は戻って、2025年の2,800万人という想定。「想定」という言い方に含みがありますが、これは、島状で、アクセスルートに限定がある会場の立地から、「この人数ならさばける」という制約条件も考慮されているようです。
では、それ以上にもし来てしまったら…?
来るのでしょうか?ネットが普及して、手のひらで膨大な情報が得られてしまう時代、「博覧会は終わった」と言われた時期もありました。ところがなんでもネットでアクセスできるようになると、逆にあふれかえった「直接見てない情報」の価値の低下が起こって、「やはりライブにかなうものはない」という見直しも起きているようです。
また1970年当時は、海外との行き来は今と比較にならないほど限定されていました。1ドル=360円だったのです。大正生まれの父親は普通のサラリーマンでしたが「一生に一度海外に行けたら…」と言っていました。EXPO’70入場者のうち、日本人は97.3%で、外国人はわずか2.7%…約170万人でした(それでも当時は画期的なことで、予想の102万人を大きく上回りました)。
ちなみに日本人のうち会場から100km以内の日帰り圏(大阪、京都、滋賀、兵庫、奈良の5府県)から来た人が48.1%。外国人のうち38%が北米からのお客さん。アジアからのお客さんは17.7%に過ぎなかったというのも時代を感じます。
EXPO2025では、海外からの入場者は350万人を想定されています。2,800万人に対して12.5%です。
入場者数予測は、過大でも過剰投資を招き、過小でも現場の混乱を招きます。まだあと5年あり、この間にどのような世界情勢・経済情勢の変化が起きるかもわかりません。「インバウンド・ブーム」にもブレーキがかかり始めているようですが、ASEAN諸国の経済発展は続くでしょう。しかしその時に日本が魅力的な訪問先であり続けられるかは、私たちの意志にかかっている部分もあります。
2,800万人という数字も、まだ修正を重ねて精度を上げていくことと思われます。しかし判断が遅れると対応ができません。「世界が地元にやってくる」ことは、大変なことです。しかし「そんな面倒な道は避けたほうがよい」と思えないのも、幼少時の万博濃厚経験者の厄介なところです…
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