長いトンネルに潜り続けているような作業でした。2022年春にこのブログでも一度お知らせしていますが、北摂の町の写真を集めてネット上で公開している「北摂アーカイブス」。の「千里丘陵コレクション」。その後、数千枚の写真候補をさらに発掘し、年代と場所のタグ付けをやり、ネット公開するための権利処理をお手伝いし、紙の写真はデータ化したりさらにレストア(修復)したり…という水面下作業をこつこつこつこつと重ね、やっと1,000枚!の追加セレクションを公開するまでこぎつけました。
撮影時期は、1963年~2017年頃。撮影された方は、4名(私は入っていません)。プロのカメラマンか編集者の方々で、千里に深い愛情を持って撮られた写真群です。
「北摂アーカイブス」は、豊中市の図書館が仕掛けられた仕組みを民間にゆだねられ、その中で「千里丘陵コレクション」の部分は吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議(つまり両市の行政)が仕切られて、それを私がお手伝いしている…という座組み。要は、官民協力しないとできないということです。行政の担当者は交代されますし、一方で私個人では公的に誰やねん?ということになる。
千里丘陵のこの60年の変化は著しく、開発時もそうでしたし、今また「再生」策で景色がどんどん変わっています。建替だけでなく、なかった木が大木になったりしています。一挙開発されたニュータウンは、一挙に更新時期が訪れるので、「普通の町」に比べても変化が極端に出やすいのです。かろうじて、最初の頃から住んでいる住民や研究者だけが変化の前後を知っていて、今の子どもはぜーんぜん知らないし、その親も知らないし、学校の先生も知らないし、校長先生も知らないし、自治体の職員も交代するのでわからない。初期住民の第一世代は、鬼籍に入られる方が増えています。焦ります。
そういう状態でどんどん再開発を進めると、まるで違う町になってしまうのではないか。それでは仮に新しい人が集まってきても、「同じ町が続いている」とは言えないのではないか。「最初のニュータウン」である千里ニュータウンが、地域の記憶を喪失して変化してしまうのは、実にもったいない!
…という課題意識からスタートした作業でしたが(コロナ禍で閉じ込められていた時にできることをしよう…という思惑もありました)、オタクの私も大変でしたよ!
写真というものは、1枚だけで時期や場所を鑑定するのは大変ですが、たくさんあると相互の関係でお互い手掛かりになってくるため、「群」を見つめていると、だんだんわかるようになってきます。こういう特殊ノウハウが個人化するのはマズいんじゃないか?という思いもよぎりますし、デジタル・アーカイブスはどのような管理形態であっても存続が自動永続的に保証されているものではありませんが、皆の眼に触れるようにしておけば、次につながっていくでしょう。
こちらのページの検索窓から、住区名とか、「千里中央」とか、「近隣センター」とか、撮影者の氏名とか、さまざまな角度でキーワードを入れると対象を絞り込めます。
お宝です!「そうそう、こうだった!」というシーンも、「え~?これどこ?」というシーンもあるでしょう。私たちが知っているようで、知らない千里。でもたしかに、これは「私たちの町の記録」なのです。
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