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- バンパクとタロー(つくばと千里)
こちらは「つくばの」万博記念公園駅前。まぎれもなく岡本太郎氏作の「未来を視る」という作品が設置されています。
この作品は、科学万博-EXPO’85のときに制作され、会場跡地にあったものを、2005年のつくばエクスプレス開業時に、駅前に移設したそうです。太陽の塔ほどベラボーな大きさではありませんが、まあなんというか、万博といえば岡本太郎でしょう…という文脈は、あきらかに千里からの引用ですね。
この万博記念公園駅がある場所は、つくば市内ではありますが、いわゆる「筑波研究学園都市」の計画区域内ではありません。つくばエクスプレスは都心から広大な関東平野の未開発地をつっきって筑波研究学園都市に到達しますが、まるでニュータウンのネックレスをあやとるように、途中駅の駅前に新たなニュータウンを開発しようとしています。それをつくばの人たちは「グレーターつくば」と呼んでいます。
そう、千里ニュータウン+EXPO’70の記念公園+周辺地=「グレーター千里」と呼んでいるのと全く同じ図式が、このつくばにもあるのです。
このように、万博の都市開発への取り込み方で、つくばは千里を雛形にした形跡があるのですが、逆に千里がつくばのコンセプトを引用したのではないか?と思われることもあります。それは「住宅都市からの脱皮」です。1970年に千里ニュータウンが完成し、1977年、国立民族学博物館が千里の万博記念公園に開館しました。これはたまたま持ってきたのではなく、岡本太郎氏の構想が深く関わっています。その初代館長になった梅棹忠夫さんは、千里一帯を単なるベッドタウン、住宅都市から、知的なシンクタンク機能を持った「新都市」に脱皮させようと構想を立て、「グレーター千里」「京阪神千」という概念を提唱しました。周辺に立地する大学をつなげ、千里ニュータウンの換地として確保されていた「彩都」の開発を成功させるために、バイオを中心とした研究所の立地を進めることを提案しました。
…っていう発想は1970年代からあったのですが、当時、大学と研究所をともなった新都市という考え方で実際にやっていたのは…筑波研究学園都市。つまり、千里とつくばは500kmを隔てつつ、合わせ鏡のようにビミョーに相互触発しながらそれぞれのコンセプトを拡大させていった…と言えるのではないでしょうか。
コメント
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コメント (1)
自己レスですが、千里が千里ニュータウン→グレーター千里と拡大する過程で「住宅都市からの脱却」を図ったのに対して、つくばは筑波研究学園都市→グレーターつくばと拡大する過程で、逆に「定住住宅都市」としての性格を強めていることは面白い現象です。町は拡大すると、単独のコンセプトではいられなくなるのでしょうか。