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タグ:まちの記憶
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あ…り…ま…し…た…(未来都市の入口3@藪の中)
千里ニュータウンの入口を示す標柱、1970年頃(ニュータウン開発完了時)にはおそらく6ヵ所あったのですが(こちらのサイトに詳しいです)、3ヵ所残っていたうち1ヵ所が最近撤去され、1ヵ所は現存を確認、ではもう1ヵ所は…?… -
残ってた!(未来都市の入口2)
もう19年も前にこのブログでレポートした「千里ニュータウンの入口を示す標柱」。合計6ヵ所あったことが判明しているうち(こちらのサイトに詳しいです)、3ヵ所が最近まで存在していましたが、このうち、高野台五丁目・千里緑地に… -
万博は終わってからが始まり
僕にとっては2度目の「地元での万博」が、終わりました。大きな事故もなく、終盤おおいに盛り上がって、笑顔の中で終わったことは何よりうれしいです!最終日も行っていましたが、最後の最後までは確認しないで帰ってきました。もう万… -
展示された旗は訴える
こちらはEXPO2025の「赤十字・赤新月運動」館。万博では国家や民間企業だけでなく、国連など国際機関もパビリオンを出しています。「赤新月」はイスラム圏での「赤十字」ですね。小さなパビリオンのわりに予約制をとって観覧時… -
またまた進化する藤白橋
北千里駅から藤白台三丁目に幹線道路をまたいでいる歩道橋「藤白橋」。藤白台住民や阪大生など通る人も多く、このブログでも何度も取り上げてきましたが、橋の東端の階段を付け替える工事が進んでいます。年度内工事だとすると、きょう… -
「強靭化された国土」が得たもの、失ったもの
「東日本」から14年が経ちました。その時私は大阪のオフィス(28階建の16階)にいて、「阪神」の時とは違ってずいぶん長く、しなるように揺れたのを覚えています。「これは大きい」ことはわかりましたが、エレベーターの停止も2… -
過去のことは、過去のこと。(震災30年)
1月後半に体調を崩してしまったのは、15日に大学最後の授業を終えて安堵したうえ17日に(震災当時住んでいて被災した)芦屋と神戸を寒中歩き回った疲れもあったのでしょう。「記念日症候群」と言って、つらいことがあった同じ日付… -
悲しみを祈りと力に変えるアート(神戸ルミナリエ)
1月29日のことになりますが、神戸ルミナリエに行ってきました。よく知られているようにこのイベントは阪神・淡路大震災への鎮魂と再生への祈りを込めて1995年12月に始まり、(コロナ禍下の休止回を含めて)今回で30回目にな… -
performing artsで地域の記憶を記録する(千里考今物語)
千里ニュータウンは「変わっていく町」です。抜群の立地に恵まれ、地域全体が寂れていく心配はおそらくない代わり、人や資本がたえず流れ込み、変わっていくことを止められない。そういう運命なのだと思います。(日本初のニュータウン… -
落せん(苦せんのあと)
年の初めから厄落としということで…。前回ご紹介した千里ニュータウン入居時の「補欠当選」はがきをわが家が手にするまで、こんなプロセスもあったということです。時は1964年。西部劇の一シーンのような未開・未知の造成地であっ…


ランドスケープの観点から「万博レガシー」を考える特集号。超豪華メンバーにまぜていただき、千里万博の近隣住民として60年にわたり変化を見てきた私の講演録も出ています。

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