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タグ:まちの記憶
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     万博は終わってからが始まり僕にとっては2度目の「地元での万博」が、終わりました。大きな事故もなく、終盤おおいに盛り上がって、笑顔の中で終わったことは何よりうれしいです!最終日も行っていましたが、最後の最後までは確認しないで帰ってきました。もう万…
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     展示された旗は訴えるこちらはEXPO2025の「赤十字・赤新月運動」館。万博では国家や民間企業だけでなく、国連など国際機関もパビリオンを出しています。「赤新月」はイスラム圏での「赤十字」ですね。小さなパビリオンのわりに予約制をとって観覧時…
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     またまた進化する藤白橋北千里駅から藤白台三丁目に幹線道路をまたいでいる歩道橋「藤白橋」。藤白台住民や阪大生など通る人も多く、このブログでも何度も取り上げてきましたが、橋の東端の階段を付け替える工事が進んでいます。年度内工事だとすると、きょう…
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     「強靭化された国土」が得たもの、失ったもの「東日本」から14年が経ちました。その時私は大阪のオフィス(28階建の16階)にいて、「阪神」の時とは違ってずいぶん長く、しなるように揺れたのを覚えています。「これは大きい」ことはわかりましたが、エレベーターの停止も2…
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     過去のことは、過去のこと。(震災30年)1月後半に体調を崩してしまったのは、15日に大学最後の授業を終えて安堵したうえ17日に(震災当時住んでいて被災した)芦屋と神戸を寒中歩き回った疲れもあったのでしょう。「記念日症候群」と言って、つらいことがあった同じ日付…
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     悲しみを祈りと力に変えるアート(神戸ルミナリエ)1月29日のことになりますが、神戸ルミナリエに行ってきました。よく知られているようにこのイベントは阪神・淡路大震災への鎮魂と再生への祈りを込めて1995年12月に始まり、(コロナ禍下の休止回を含めて)今回で30回目にな…
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     performing artsで地域の記憶を記録する(千里考今物語)千里ニュータウンは「変わっていく町」です。抜群の立地に恵まれ、地域全体が寂れていく心配はおそらくない代わり、人や資本がたえず流れ込み、変わっていくことを止められない。そういう運命なのだと思います。(日本初のニュータウン…
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   ウラ-280x210.jpg)  落せん(苦せんのあと)年の初めから厄落としということで…。前回ご紹介した千里ニュータウン入居時の「補欠当選」はがきをわが家が手にするまで、こんなプロセスもあったということです。時は1964年。西部劇の一シーンのような未開・未知の造成地であっ…
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   ウラ-280x210.jpg)  すべてはこの1枚から始まった(NT入居から60年)もはや歴史的資料ということになるのでしょう、1964年、私の父が千里ニュータウンの宅地分譲抽選に応募して、何度目かのトライでようやく「補欠当選」した時の通知はがきです。当時、千里ニュータウンは知る人も少ない「山奥の新興…
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     (臨時ニュース)万国博西口駅の駅名標が一時復活大阪・関西万博開幕まであと半年ちょっと。70年万博の記憶を刻む千里でも気になるところですが、その時の会期中、臨時に設けられて跡形もなく消え去った「万国博西口駅」(阪急千里線)の駅名標レプリカが現地に復活しているというお…


 ランドスケープの観点から「万博レガシー」を考える特集号。超豪華メンバーにまぜていただき、千里万博の近隣住民として60年にわたり変化を見てきた私の講演録も出ています。
ランドスケープの観点から「万博レガシー」を考える特集号。超豪華メンバーにまぜていただき、千里万博の近隣住民として60年にわたり変化を見てきた私の講演録も出ています。

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