後期高齢化率こそ指標
- 2007/9/18
- 千里ニュータウン
- まちづくり, 高齢社会
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きのうは超高齢社会の話が長くなってしまいましたが、大切な話なので若干補足。
千里ニュータウンは高齢化率が27.5%と高いのに地域活動が活発なのは、いわゆる「前期高齢者」(65-74歳)に千里ニュータウン特有の人口のヤマがあり、その人たちが「支えられるほう」ではなく「支えるほう」に回っているからだ…という話でした。
しかしそのヤマは、10年後には後期高齢者(75歳以上)に移動し、そのときこそコミュニティの力がシビアに問われるだろう…と。これは「統計の魔術」ですが、団地建替で30-40代の新住民が流入すれば、全体平均での「高齢化率」は頭打ちになるか、むしろ下がっていくでしょう。一見、高齢問題は解消に向かうかのように見えてしまいます。ところが一方で、確実に大量の後期高齢者が実現し…すると高齢化率は下がるのに、たとえば要介護者の比率は上がる…という現象が起きるのではないか?
…こう考えると、現在マスコミなどでは「65歳以上高齢化率」ばかりを報道し…それは年金対象と密接に関わってくるからで、統計でも65歳の切れ目が多く採用されていますが…むしろ「75歳以上の後期高齢化率」をもっと注目しないと事態がきちんと見えてこないのでは?と危機感を感じます。
地域活動の場…博物館に行っても、公民館に行っても、自治会に行っても、千里ニュータウンの地域を支えている中心層は圧倒的に60代です。それは絶対人口が多いことと、若い人(特に男)はやはり勤めなどがあってそういう場に出にくいからです。その町を支えている集団が、どっと「支えられる」ほうに移動したら…?「高齢化率」という数字の非常に危ういところは、「支える人」と「支えられる人」が、同じ数字の中に丸められてしまう点でしょう。昔ならば65歳にもなれば名実ともに立派な「おじいさんおばあさん」で、その切れ目に意味があったのでしょうし…年金問題では今でも65歳は重要な切れ目ですが…介護などの事態ではもはや「ずれている」指標ではないかと感じます。
町の人たちと話しているときに、「おばあさんが階段で困っていて…」とか「最近の年寄りはワガママで…」とか会話に出てくるのですが、それを言ってる本人が明らかに60代以上、ということが頻繁にあります。たぶん自分は「おばあさん」や「年寄り」には入っていないのでしょう…それももっともなことです。
10年後の千里ニュータウンは、70代後半~80代前半の初期住民と、建替等で流入する40代前後新住民の2つのヤマがある年齢構成になるかと思います。そのころ60に接近している「谷間世代」の僕としては、2つのヤマが「混ざる」ようなお手伝いでもできれば…というところでしょうか。
コメント
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コメント (2)
敬老の日、民生委員の私のところに吹田市から送られてきた高齢者名簿に自分の名前が載っているのにがくぜん!ほんとにがくぜん!なのです。つまり自分が高齢者であることを認識していない、拒否しているわけです。頭で理解できても全身全霊としては受け入れたくない・・・そんな気分が漂うわけなのです。40、50代
の人々と会っても違和感なく、むしろ「きみーまだ若いんだろ」って怒鳴りたくなる若年寄に出くわすことが多いのですよ。今の60才以上というのはどこか端境期を超越してる部分もある。時代をずらして考えれば、これからの60歳は一気に80歳ぐらいになる可能性もあるんじゃないでしょうか?少なくも私は元気。
私もあかちゃんさんのことは20近く年上だって普段は全然忘れてます。たしかに30-40代のほうがくたびれちゃってる(いや20代でも…)人がけっこう多いのですが、世の中がこうですからそれはそれでけっこう大変なんすよ…格差社会、地球温暖化、グローバリゼーション、ITストレス、のしかかる介護負担…ああもう私には解決できない…こんな中でケナゲに生きている若者にも愛の手がほしいものでございます。