エキスポタワーとの日々
- 2007/9/29
- 万博
- まちあるき, まちの記憶
- 7 comments

藤白台から見えていた万博の構築物で、一番よく、長い間見えていたのはエキスポタワーでした。
開催中に見えていたのは、ソ連館、古河パビリオン、住友童話館…ロープウェイも見えたなぁ…開幕したその日から、会場のざわめきやこだまするアナウンスも、なんとなく竹林の向こうから聞こえてきたものです。(今でも夏にライブがあると聞こえてくることがあります。迷惑料というのでもないでしょうが、イベントのチケットが自治会経由で回ってきたことも…それほど近いってことです。)しかし大半は半年間の会期が終わると夢まぼろしのように姿を消し…太陽の塔とエキスポタワーだけが残されました。
でも太陽の塔は少し方角が東にずれるのと、エキスポタワーに比べると背が低く竹林に埋もれ気味…ということで、わがやからずっと一番よく見えていたのはエキスポタワー。人気は太陽の塔のほうがあったし、航空管制の規制から、万博終了後まもなく赤と白のダンダラに塗られてしまい、オリジナルの銀色を失ってしまったのは残念でしたが…1970年の「いかにも未来!」を表していたのはこっちのほうでしたね。
そのエキスポタワーも2002年秋から2003年春にかけて解体撤去されました。できたときと同じように、しかし逆に、徐々に上から取り外されていく様子を何ヵ月も見ていました。(こちらのサイトでは解体撤去の様子が克明に記録されています。)
「過去の未来」を感じさせてくれたエキスポタワーが消えて藤白台から見える景色も寂しくなりましたが、ようやく1969年以前の風景に戻ったわけです。
■吹田市立博物館での特別展「07EXPO70-わたしと万博」は10月20日(土)から!
(写真は万博公園内から撮ったものです。)
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (7)
もうエキスポタワー無いんですね。
引っ越してから随分経ちますが、小学生の頃、太陽の塔とエキスポタワーは藤白台の景色にすっかり溶け込んでました。
子供の頃「未来」を感じていたエキスポタワーが古くなって取り壊されるというのは何だか複雑な気がします。
エキスポタワー解体からもう5年になるというのも速いなあと思います。万国博美術館も万国博ホールも姿を消しました。しかし万博展の準備で当時の写真をたくさん見ているせいでしょうか、まだそこにパビリオンがたくさんあるような気がします。
パリ博のエッフェル塔に対する大阪万博の塔
といえば、やっぱりエキスポタワーですよね。といっても、太陽の塔の強烈な個性ゆえに、なかなか同意してもらえないのですが。。。
今でこそ、お祭り広場の大屋根が取り払われたので、太陽の塔は塔らしくすくっと立っていますが、万博当時、「塔」と呼ぶのにふさわしい姿だったのは、エキスポタワーでした。
タワーと言えば第五回内国博覧会のツーテンカクもおわすれなく。ところでトーキョータワーは何でつくられたのでしょうか。
東京タワーは博覧会とは関係なくて、テレビの共同電波塔という実用的な目的で作られました。大阪では生駒山がその役目をしているので共同の電波塔はありません。朝日放送の大阪タワーはありますが…。そういえば東京タワーと通天閣、同じ人の設計だってご存知でしたか?
万博から年月が経ち、次第に市民の中にとけ込んできているような気もします。今も残され利用されている建物として、民族学博物館があり、当時は最先端の技術だったのでしょうが、今から見ると少し古典的にも感じます。時の流れでしょう。
ところで、皆さん。「わたしと万博」の宣伝に出てくるジャイアンツの野球帽をかぶった賢そうな男の子、誰かの面影がありませんか?さりげなくはいってますけど。
こちらに出ている写真のことでしょうか?
http://www.doblog.com/weblog/myblog/60028/2623129#2623129
ちなみに「みんぱく」は1977年の開館で、万博当時の建物ではありません。基礎コレクションはテーマ館展示のために集めた各国の仮面を受け継いでおり、そこには岡本太郎氏の構想が深く関わっているようですが…