「万博展」が終わりました。
- 2007/12/2
- 万博
- まちの記憶, イベント
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吹田市立博物館で10/20から開催されてきた(僕も市民委員として企画実行に関わってた)特別企画「07EXPO70-わたしと万博」。15000名の来館者をお迎えし、12/2をもちまして無事終了しました!
このブログをご覧になってご来場いただいた皆様、ありがとうございました。あ~これでやっとこちらのブログももう少し書けそう…。
万博好きが高じて自宅にパビリオンの一部を移築しちゃったほどの万博マニア、万博ミュージアムの白井さんが「吹田市民はフツーのマニアよりずっとマニアックだ…」とおっしゃっていたのが印象的でした。
写真は市民の方から持ち込まれた、万博当時の阪急電車の運行標識板。そうそう、北千里のところに万博マークがついていたのです。こういう「お宝」がいずこからともなく出てくるのが「地元の厚み」。それはモノだけじゃなくって思い出、関わり方もさすがに地元は濃いものがあるとあらためて感じ入りました。37年前のたった半年のことなのに…それほどキョーレツな体験だったんですね。
そう!北千里は万博マークとともに語られる町だったし、今でもそれは昔話になっていないんでしょう。「住んでる」ってことは、ものすごい情報吸収環境にあるってことです。地元の宝を掘り起こせ!…いやしかし万博ってのは巨大な宝だなあ…。
コメント
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コメント (7)
これを提供した方は相当な「鉄ちゃん」でしょうね。実は私もこの運行標識版がすっごく欲しかった「阪急電車」フリークでした。友達は「阪急ブレーブス友の会(だったかな?)」入っていたし、昔のバスターミナルのそばの模型屋さんには阪急のNゲージが売ってたりして、子供のころから生活に密着してましたね(それが阪急の狙いだったかも)。
藤白台-万博-阪急電車。私的少年時代の3点セットです。
(嗚呼、忙しくてとうとう万博展に行けませんでした。仕事で2回も新幹線で新大阪を通ったのに…)
大阪を通っていたのに万博展に来られなかったとは、それは残念なことでした。実は私も「鉄」でかつ阪急ファンなので、阪急電車のことを書き始めるとそればっかりになってしまいそうで、あえて抑えております。京都線最新車両の9300系は乗られましたか?
残念ながら乗っていません。最後に乗ったのは小学6年の頃、特急の座席が横ではなくて進行方向に向いていたころの「阪急」です。
そして悲しいことに、私の「阪急鉄」の情熱は千里を離れてから徐々に失われてしまい知識の記憶もほとんどなくなってしまいました。
でも「電車」は好きです。
そういえば宝塚の電車博物館(?)、まだあるんですかねぇ。亡父と弟と3人でよくいった思い出が浮かんできました。
それと9月に吹博に向かう途中で南方の駅舎で
「京都河原町 嵐山 北千里方面 のりば」と表示された電装案内板を見た途端30年前にも見たような相当年季の入った佇まいに思わず携帯に保存しちゃいました。あれは古いものですよね?
京都線の特急車両は、今でも進行方向を向いています。本数が増えたので普通の車両が入ることもありますし、ダイヤが変わってものすごく停車駅が増えてしまいましたが…。宝塚の電車館(のちに「のりもの館」)は残念ながらファミリーランドの閉園とともに姿を消して、所蔵品は車庫などで保存されているようです。どこかに再結集してくれたらいいのですが…。南方駅の案内表示は、紺枠に白地、文字が紺であればけっこう古いです。最近は紺ベースに文字白ヌキに変わっていますので…。数十年前と比較したらそれは阪急も変わっているでしょうけれど、やっぱり阪急は濃厚に阪急らしいですよ!
マルーンの車体、あれがいいですよね。子供のころはみんなでチョコレート色って言ってましたけど。まるで、品がある「電車」の貴婦人やぁ~ です(^^)
電車館無くなっちゃたんですか…。北千里の近くにでも「阪急博物館」みたいな常設展示場ができれば最高なんですけどね。
最近の子供で、昔みたいな「ちびっこ鉄」ちゃんっているんですかね?
「鉄」はいま子供界でも大ブームのようです!8月に梅田の阪急百貨店と阪神百貨店で共同開催していた鉄道模型フェスティバルに行ってきたら、両会場とも大入満員でビックリしました。団塊世代の「鉄」おじさんが孫と一緒に…とか、若いお母さんもいっぱい来ていて胸が熱くなりました(大げさ)。電車館、復活させるならいっそ梅田に!ってのもありかと思いました。