子供の目線
- 2008/8/1
- 藤白台
- まちあるき
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ブログを始めてから写真を撮る枚数が激増して、ついにこないだ10,000枚を突破…デジカメのファイルの番号が「0001」に戻りました。
ニュータウンは四季の変化にも富んでいて、どこを切り取っても絵になります。文章を書くのは僕にとって仕事みたいなものですが、写真は完全にシロートなので、ほめていただくと励みになってまたパチパチ…そんな中でご近所の方が、僕の写真は「目線が低い」としきりにおっしゃるのです。背が低いという意味じゃないよな?なんだろーなー?と思っていたのですが、また別の方が「プロが来てぱっと撮った写真のようにアッサリしていない」と…。以前この方には、あるパンフレットにプロの写真と並べて僕が撮った季節の写真を使っていただいたのですが、たしかに並べると(同じ町なのに)全然違う。(もちろんカメラが全然違いますが…こちらは毎日持ち歩くのでコンパクトデジカメですから…。)
これはいったいなんなのか?…要するに「子供の目線」なんじゃないか?とある日気がつきました。僕は5歳のときからニュータウンを見てきたので、同じ世代で町を離れた人が「なつかしい!」と思うだろうな…とか、これは昔から見逃せないよなとか、対象を選ぶときに「子供の目線」が入っているようなのです(今は49歳ですが…)。最初から大人目線でこの町に入ってきた人とは、同じ場所を見ていても「見えている」ものが違うんじゃないか?
たとえば公社団地の中の、このすべり台。大人にとっては古ぼけた遊具にしか見えないかもわかりませんが、藤白台で子供時代をすごした者にとっては、友達と一緒に遊んだたいせつな「思い出の引き金」です。これを見ると友達を思い出すし、友達を思い出せばおばちゃんの顔もイモヅル式に思い出す…
口はばったい言い方ですが、普通の古い町なら、子供時代からの思い出を持った大人(=コドモオトナ)が、何代にもわたっていて、それが「町への愛着」の地層になっています。千里ニュータウンもできて45年が経過し、やっとそこで育ったコドモオトナがいる「普通の町」に成長したのではないでしょうか?
だからね。このすべり台は残してほしいわけですよ。大人目線で町を見ている人からは、そういう意見は出てきにくいと思うのですが…。
なんだかちょっと自画自賛みたいになっちゃいましたが…
コメント
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コメント (2)
これは通称「ぞうの滑り台」ですね。
子供のころここでよく遊びました。
ちょうど小学校と家の中間地点にあったので
ここで、友達とよく宿題をやった記憶があります。
この滑り台、白くてすべすべしているようなんですけど、けっこう凸凹なんです。
それで、下敷きをしかずに宿題やったものだから
ガタガタの字になって、先生に、「おまえ、どこで宿題やったんや?」と言われたことあります。
いまから思うと、この滑り台のデザイン、秀逸ですよね!
滑り台で宿題ですかー…家に帰る時間も惜しんで友達と遊びたい子供心ですね。受験勉強だったら滑り台ではマズイような気もしますが…凸凹だったら「滑らないオマジナイ」にちょうどいいかも?