父にぼけられて
- 2008/11/17
- 藤白台
- 高齢社会
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88になった父が心肺の具合が悪くなり、9月に入院してたちどころにぼけてしまいました。
やはりトシというのでしょうか…6月30日までは自分でクルマも運転していたというのに、まるで紅葉が色づくようなスピードで変化してしまいました。家族の顔は区別できるし比較的真っ当な時もあるのですが、時間・空間がメチャクチャ…。ぼけて「その人らしさ」を失うというところには至っていなくて、むしろ社会性のメッキが取れて「その人らしさ」が全開になっていると言ったほうがよく、なんとも「つきあう」のに苦労しています。
きれいにトシを取るのは本当に難しい。小津安二郎の映画みたいなわけにはなかなかいかないです。老い先もそう長くはないだろうに(いや…?なんともわかりませんが…?)、しみじみとした気分には何ともなれず、88にもなって人間こんな練れてないことばっかり言ってどうするよー?と腹が立つこともしばしば…。
うちは母も4年間介護したので「初めてで戸惑う」ことはありませんが、ああ、また介護の季節が始まったのだなと…。
それにつけてもニュータウンの知り合いに父の事情を話すと、「私も主人をなくして…」「うちの看病の時は…」といった話を皆さんがお持ちなのは、あらためて高齢社会なんだなと実感します。(僕も50前ですから、おつきあいいただく年齢の範囲がそれだけ上がったということもありますが…)
それなのに自宅の近所に高齢者施設ができることを嫌がる人が多いことは、まったく不思議というほかはありません。自分はどうするのでしょうか…?うちは千里ニュータウンの一番多い世代より親も子も少し上なので、うちで起きたことはやがて千里ニュータウン中で起きるかも?と思うと、それは大変なことだと心底思います。身内がそうなってみないとわからない…というのではあまりに不用意すぎないか?明日から父が移る病院はニュータウンの少し外にあり、バスと電車を片道3つ乗らなくては行けません。つまりざっと600円。往復で1200円。毎日行ったらそれだけで36000円。介護看護は切実に経済的な問題でもあります。
「ニュータウン」が「一人前の町」に成長するためには、「そこで死ねる」という項目が必要なのではないか?長年暮らしてきた町で一生を終えたいという願望は、しごくベーシックな願いだと思います。僕はニュータウンで死にたい。だからブログも書き続けます。
コメント
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コメント (4)
辛いですね
軽々しい慰めさ
勇気づける言葉はありません
ただこんな人間も居る
介護出来るだけ幸せで羨ましくてたまりません
私は今日生活するにも困難な状況な位の下の人間ですが…
親も兄弟もこの世に?居ない人間からすれば…
勝手なことをすいません
介護出来るってことも幸せって…
ありがとうございます。どこかの本の帯風に言うと、「介護は大変なことではあるけれど、不幸なことではありません」となるでしょうか。人口比から言っても、少なくとも育児と同じぐらいのオープンさで介護を語れるといいなと思います。人生これも修業です。
介護をする方の思いも大変ですが、実は介護される方も辛いのです。
自分の体も心も思い通りにならず、この先に待っているのは・・・。
せめて、心安らかに最後を迎えたいですよね。
自分が、どんな終末を迎えるか分かりません。でも、このごろいつも思うことは精神の自立の大切さです。これも認知症になれば崩れてしまうのでしょうが。
転院するときもごねてごねて…日が変わると前日言ってたことなどケロッと忘れていることも多いのですが…。万事都合よくはいきません。