2000年・藤白台近隣センター

ほんの7年前の藤白台近隣センター。(わからない人に)今の「ゆらら藤白台」の建替え直前の姿です。
この時は寂れきっていましたが、1965年春のオープン直後には(大げさではなく)押すな押すなの大繁盛で、やっと藤白台でお買い物ができる!もう古江台のセンターとか新千里山駅(今の南千里駅)までバスや徒歩で買い物に行かなくていい!と皆大喜びでした。(このセンターができるまでは軽トラックにいろいろ積み込んだ移動よろず屋も来てましたねー。北千里の駅はまだなかった!)
オープン直後にはこんな映画のロケも行われました。吉永小百合さんが本当に来たのです(僕は覚えてなくて最近知ったことですが…)。その翌年・1966年には昭和天皇も視察に来てロータリーをぐるっと回って行かれました。1968年には当時の皇太子ご夫妻も…。千里ニュータウンの中でも藤白台に次々来られたのは、ロータリーのある町が絵になって珍しかったからでしょうか?
今は建て替えられて、店舗は小ぶりになりましたがすっかりキレイになりました。「ゆらら」という聞き慣れない愛称が突然ついて、バス停の名前まで変わってしまったのは寂しかったですが…(40年近く「センター」と呼んできたのに…)上手くリニューアルされたと思います。名前以外は…。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (5)

    • 健ちゃん
    • 2007年 7月 17日

    (定かな記憶で無いので間違っていたらゴメンナサイ)確かセンターの中に「ふじや」(?)という本屋&文房具屋があってよく立ち読みしたり、ノートなんか買いにいきました(20前後のきれいなお姉さんが店員でいたのも覚えています)。ある日私が立ち読みしていたとき、子供づれの派手目なおばちゃんがものすごい勢いで店に入ってきて「早よほしい物選んで買いなさい!ほらバスが出てまうがな」などとまくし立てながら子供をせかして
    大急ぎで買い物を済ませて、バス停に去っていきました。そのおばちゃんこそ、かしまし娘の庄司照江さんとその息子(名前は忘れましたが、磯野貴理のダンナ)でした。あの頃、関西のタレントはけっこうニュータウンの周辺に住んで居たんじゃないかと記憶してるんですが(チガウカナー?)。鑑定宜しく御願いいたします。

    • 奥居武
    • 2007年 7月 17日

    フジヤは電気店で今でもあります。本屋&文房具屋は「中辻書店」。藤白台からはなくなりましたが、小野原などで営業を続けているようです。かしまし娘さんはニュータウンにお住まいでNHKが千里ニュータウンを取り上げた「新日本紀行・最初のニュータウン」(1979年制作)でもガイド役をされています。この番組はNHKの大阪放送局に行くと見ることができますが、他の地方の局では見られるかどうか?

    • ぐちお
    • 2008年 11月 18日

    はじめまして。
    ゆらら、は馴染めませんよね。こういう名前って、どういう風に決まるでしょう。
    三色彩道もなんか上品すぎな感じですし、なかよし道といわれても…
    って名づけた人、見てなければいいですけど。
    私は北千里高校の第1期生なんですが、あの学校、合格後しばらくは
    名前が決まっていなかったんです。皆どんな名前になるのか楽しみにしてました。
    下馬評では千里北高校。これは皆納得でした。もしかして北千里高校かも?
    などと言って笑ってました。
    あの頃は北千里高校はあり得ない名前だったんですね。北千里は阪急の
    駅の名前でしかなかったわけですから。

    • ぐちお
    • 2008年 11月 18日

    確か入学式のときだったと思うのですが、高校名が校長先生から発表されたんです。
    「北千里高校」
    グラウンドに集まった生徒も父兄も皆一斉に「エーッ?! 北千里高校? 北千里高校?!」
    もう大ひんしゅくでした。
    この名前を決めたのは校長先生だったようなのですが、どうやらあの千里高校を意識して
    千里北高校という名に納得できず、北千里高校とされたようでした。
    多分、地元の人ではなかったのでしょうね。
    最近のマンション、千里藤白台っていうじゃないですか。もうため息ですよ。
    北千里藤白台って付いてると正直ムッとしてしまいます。
    住所が吹田市千里藤白台なんかになりはしないかと心配しちゃいますよ。ほんとに

    • 奥居武
    • 2008年 11月 19日

    「第1期生」ですか!それはカッコイイですね。新しい名前というものはなかなかなじめないものですが、僕も最近は不本意ながら「ゆらら」と呼んでしまっています。「三色彩道」「なかよし道」という名前にも言いたいことはあるのですがそれはまた…(通りの愛称は吹田市が公募して決め、審議過程も一時期ネット上で公開されていました)。
    学校の名前はたぶん教育委員会が決めたのだと思います。実は青山台中学校は、開校して2ヵ月半も正式名称が決まっていなかったという新聞記事があります。青山台の入居より先に開校したので所在地の町名が決まっていなかったためですが、仮称にとりあえずつけた「千里丘陵北中学校」から「北中学校でいいじゃないか」という意見もあったようです。
    千里ニュータウンの吹田市域には住所に「千里」が入らないため、「千里○○台」にしたほうがいいという意見が出たこともあるようですが、僕は(名前はシンプルなほうがいいので)ただ「○○台」でいいと思ってます。名前って、絶対の正解がないから、難しいんですよね。

好評発売中!

樹林舎刊の写真集『吹田市の昭和』の千里ニュータウン部分を中心に、コラム執筆や写真のアレンジ、事実関係の確認などを担当しました。限定1,500部。書店でお申し込みください。

好評配布中!〔無料〕

千里ニュータウンの最新状況がわかる「千里ニュータウンマップ2018」の制作をお手伝いしました。このマップは南千里駅前の「吹田市立千里ニュータウン情報館」で配布しています。2013年版も在庫があります。

好評発売中!

吹田市立博物館とパルテノン多摩の2018年共同企画「ニュータウン誕生」の展示・図録制作をお手伝いしました。図録購入(吹田版)はこちら。多摩版はこちら。(内容は同じです)

アーカイブ

ページ上部へ戻る