この春、千里ニュータウンではもうひとつの学校名が姿を消しました。東豊中高校。
東豊中高校は少路高校と統合のため、2006年春入学の学年を最後に募集を止め、2007年春からは、「総合学科高校」の千里青雲高校が、東豊中高校の校舎に同居して開校しました。同じ校舎を使うのですが、校章や校歌などは千里青雲高校として新しく制定されました。この2年間は、東豊中高校から一学年ずつ千里青雲高校に切り替わっていく…というバトンタッチの期間でした。
校門は新調されて暫定的に両校の名前を併記したプレートが掲げられ、玄関にも両校の校章が並んで掲げられていました。
そしてこの春、東豊中高校は最後の卒業生を送り出し、閉校式を行ったのです。1971年春に開校し、38年の歴史でした。東豊中高校の設備はそのまま千里青雲高校に引き継がれ、2009年度は初めて千里青雲高校として3学年揃った年になります。
東豊中高校より新しく、1983年に開校した少路高校の校舎のほうが使われないことになりますが、跡地利用はまだ議論中のようですね…。
こうやって千里ニュータウンの周辺でも、学校が再編成されていく時代になりました。人口増加から人口減少への大きなUターンは日本全体が経験していることですが、一度に開発したニュータウン周辺では、その現象が顕著に出ると言えます。毎年のように校舎を増築していた時代を覚えている世代には、かなりの「カルチャーショック」です。
ただ人が減って統廃合するのではなく、新しい学校をまた創るんだ、という意志が「青雲」という名前には込められているのでしょうね。新しい春が始まりました。
コメント
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コメント (5)
千里の開発があったればこそ、
その周辺の街の今があるし、
新たな活気はまた千里に力を与えてくれます。
バトンが帰って来る日を待ち望んで。
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news005777.html
東豊中高校は 第一学区で 調整校だったとおもいます 吹田の 先輩が行かれてたんで 少し憧れがありました
千里ニュータウンにある高校で近いし・・・
千里ニュータウンの真ん中に 見えない線がありました 府立高校は 豊中市は第一学区 吹田市は第二学区 近くても 双方の高校へは行けませんでした
しかし その壁は 最近 崩れ 1、2学区双方 通える様になりました
その上 昔は 一発勝負でしたが 今は前期 後期と 一度づつしか受けられませんが チャンスが広がりました
特に 今年は 橋本施政で 私学高校の助成金の削減 いきなり訪れた 不況等で
公立希望が増えたと聞きます
3年前に長女 そして 今年長男 ぶちあたり どちらもクリア 今 一番ほっとして 春を楽しんでいます
千里青雲高校 まぼろしの制服 ってな話 あるそうですよ(^_^;
そうですね、僕の友達も(吹田市から)けっこう東豊中高校へは行きました。千里ニュータウンの住民は「千里の」住民だという意識が強いと思いますが、何かの時に吹田豊中問題が顔を出すことがあります。歴史地理的にも吹田は三島郡(淀川水系)、豊中は豊能郡(猪名川水系)で背景が違う…でもその境界線上に「千里」というアイデンティティを創ったわけで、皆で盛り立てていかないとですね。
昨今の経済問題は、世界レベルから府のレベルまで絡まりあって、彩都開発、学校再編、団地建替…といろいろ影響が身近にも出てきていますが、これは同時に「日本の人口が減り始めた」ということのいろいろな現れでもあるわけです。現実の未来は、人口増加時代の延長線上とは違うところにあるんでしょうね。
青雲高校っすか。
星飛雄馬の母校とおんなじだね。(^^)
できれば「巨人の星」よりも「阪神の星」を輩出してほしいものでございます。