Garden Cityの面影(花壇踏切道)

北千里から阪急吹田までの歩行運動、千里山駅を過ぎると、また線路に沿って歩きやすくなります。豊津までの区間は、千里丘陵をクネクネしながら上り下りする登山電車的区間。このクネクネが千里線が遅い一因でじれったい…と感じる利用者も多いと思いますが、クネクネしないともっと勾配が急になってしまいます。

千里線は、ニュータウンの建設にともなって造った千里山駅から北の区間は全線立体交差になっていますが、千里山駅から南はつぎつぎと踏切が出てきます。関大キャンパスの南門前にあるこちらは…花壇踏切道。見回しても花壇なんかないんですが、この踏切から関大前寄りの場所には、1964年4月9日まで「花壇町(かだんちょう)駅」がありました。花壇町(かだんちょう)は通称ですが、今は関大キャンパスに取り込まれている一角に、「千里山花壇」という小さな遊園地があったことにちなんでいます。1921年から1950年まであったようです。

その後も通称として花壇町(かだんちょう)という名前は残り、今の関大幼稚園のちょっと南寄り、この踏切までの間に小さな駅もあったのですが、千里ニュータウンの開発にともなって当時の千里山線は車両を大きく、かつ両数も多くつながなくてはならなくなり、花壇町駅は、関大正門から下りてきた地点にあった「大学前駅」と統合され、その中間に「関大前駅」を造ったのでした。

この時には今の吹田駅の位置にあった「市役所前駅」も、国鉄をくぐってすぐの場所にあった旧「吹田駅」と統合されています。それぞれ2ペアの駅の間は、すごく短かったのですね。僕もニュータウンへ引っ越してくる前に下見に来たときは、まだ駅が統合される前でしたが、旧吹田駅と市役所前駅の間などは、隣の駅が見えるほどでした。

千里山までしかなかった頃の千里山線は、こんな木造の車両が3~4両編成=全長はせいぜい50メートル、それが今では19メートル級の車両が7~8両編成=170メートル。そんなに長くなったら、見えるほど近くに次の駅があるのではホームがつながってしまいます。

まさにこの界隈は、イギリスの田園都市=Garden Cityに見習ったのではと想像したくなるプリティな雰囲気のする一帯で、「花壇町」という名前もその面影を伝えるネーミングですが、ニュータウンという「大きな町」をその奥に切り開くということは…

噴水を削ってバスを通し、鉄道も大型車両を入れるために駅をひっつけてホームを延ばせるようにし…荒々しい大改造が旧市街地にも影響したわけで、それでも担当者はニュータウンを造ることの社会的必要性を信じて猛進したわけですね。

今、千里線の駅で改札が前後2ヵ所にあるのは、この統合でできた「関大前」と「吹田」だけで、そんなところにも旧駅の利用者に対して気を使った痕跡が見られます。

ちなみに1963年には名神高速道路のこの区間(栗東―尼崎間)が開通し、関西大学はキャンパスを突っ切られるというのでもめた結果、千里山トンネルを半地下で作って上を駐車場に整備することで折り合っています。千里山トンネルは西の坑口を出てすぐに阪急の上をまたぐトリッキーな配置となり、統合された関大前駅の北側の駅設備は、この高架下の地下に位置しています。まさに大量輸送時代の幕開けでした。

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