公社「しろすべ」(ゾウのすべり台)へのコメントを募集します!
- 2012/2/6
- 藤白台
- まちの記憶, 団地
- 21 comments
これはいつ書こうかいつ書こうか…と考え続けて4ヵ月、これ以上遅くなると間に合わなくなるかもしれないので、思いきって、書きます。
藤白台の公社団地内で40年以上、大勢の子供と遊んでくれた「しろすべ」(ゾウのすべり台)。その白い姿はまさに「団地のマドンナ」と言うべき存在でしたが、今回の建替で民間マンションの敷地として売却される「再生地」に入ってしまいました。このままだと、姿を消してしまう運命にあります。今は仮囲いの中で眠っています。
でも僕はブログで何回かこの「しろすべ」(ゾウのすべり台)をとりあげて、気がついたのです。このすべり台を記事にすると、皆のコメントがたくさんつく。その多くは、これまで藤白台で子供時代を送った皆さんからのコメントです。ああ、ここには皆の思い出がたまっているんだ。
その思い出を書くのは、公社に住んでいた子供たちだけではありません。子供の世界に境界線はありませんから、団地も戸建も関係なく、藤白台の多くの子供(元子供)が、このすべり台で思い出を育ててきたのです。小学校の校門から近いからでしょうか。駅に下りていく途中にあったからでしょうか。
建替でこの場所が民間マンションの敷地になっても…場所は多少変わってもいいから、藤白台の子供が遊べる場所で、なんとかこのすべり台を残してもらう方法はないのだろうか?
千里ニュータウンの設計に詳しいK先生に聞いたところ、「建物だって移築できるんだから、すべり台を移動させるのは当然できます」とのこと。当時の公社ではアート系の学生にこういった「一点物」の遊具を設計させ、ニュータウンの団地の中に置いたそうです。「プレイ・スカルプチャー」(遊べる造型)という名前まであるんだそうです!抽象的なようで具象的にも見える…その中間の不思議な形が想像力をかきたてるのが人気の秘密なんでしょうね。
建替の条件について、このすべり台に関しては自治会から公式なお願いは出ていません。遊具のほかに、高さやセットバックや通路や…お願いすることがたくさんあったからです。それに…「すべり台が大切」という視点は、藤白台で子供時代を送った人(か、せめてそのお母さん)からしか出てこない視点で、自治会の会合に出てくる人は「大人になってから藤白台に来た男性」が多いですからね。
でももしこのすべり台がなくなってしまったら…元の風景を一度更地にしたニュータウンでは、建替更新もほぼまた更地に戻すやり方で進みますから、風景の記憶をつなぐよすがが、何もなくなってしまうのです(ふれあいの道の桜や斜面のクスノキは残りますが…人工物はすべて入れ替わってしまうことになります)。このすべり台がもし残れば、昔の子供と今の子供が、そこで同じ思いを共有できるかもしれません。それは、歴史が浅いニュータウンで、とても大切なことなんじゃないでしょうか?なんだか子供っぽいようですが、藤白台で子供時代を送った人にとって、藤白台は「ふるさと」なのです。そこで、
●この「しろすべ」(ゾウのすべり台)に関する思い出話、保存応援意見などを、この記事のコメント欄に書いていただけませんか?
このブログに書いてもらったことで、どれだけ現実に対する影響力が持てるか、それはわかりません。たぶん場所は動かさないといけないだろうし、するとお金の問題も出てくるし、建築計画の大枠は今から変えられない中で滑り込ませる場所を見つけないといけないし、工程のダンドリもあるし、現実にはいろいろ難しいことがあります。でも、ここに書かれたコメントを、関係者の皆さんに見ていただくことはできます。関係者の皆さんも、住民の思いがわかれば、皆が満足するプランのほうがいいわけですから、何か現実的な解決を考えてくださるかもしれません。
期限はありません。twitterやfacebookからご覧になった方は、RTまたはシェアしていただいて、コメントはできるだけこのブログのこの記事に集中していただけると幸いです。
この提案はまったく個人的な「藤白台の元子供」からの発想で、僕が所属する自治会やグループとは関係がありません。
どうぞよろしくお願いいたします!できるところまで、がんばってみましょう!
コメント
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コメント (21)
「しろすべ」ですか。
思い出はいろいろありますが、私の「しろすべ」の印象は、女性っぽいすべり台(笑)という印象が強いです。
藤白ロータリー前の大きなすべり台(すべり坂と言っても良い)とか、藤白公園の蛸すべり台と違って、「しろすべ」のまわりには昔たくさん紫陽花が咲いていて、白い色と相まってなんだか女の子用のすべり台のような印象を持ちました。もちろん、男の子もたくさん遊んでいましたが。
水はけが悪いのか水溜りができて、どろんこ遊びをしながら滑るので、泥で汚した思い出もあります。35年経ちますが未だ申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。
白くて、丸い穴がかわいらしくて、ひんやり冷たくて、唯一無二の形、「しろすべ」をぜひ未来の子供達に残してもらいたい。二度とこんなすべり台がつくられることはないでしょうから。
そうなんです。最近の遊園に置いてある遊具は「規格品」が多いのですが、この「しろすべ」は一点物のようなんです。「ほかにない」という手作りの気迫や温かみみたいなものが、伝わるんでしょうね。藤白台で子供時代を送った皆さん、コメントお待ちしていま~す!
初めまして。
いつも楽しく拝見しています。
3人の子育て中
上山田の住人です。
上山田から
「しろすべ」で遊ぶために
何度か出向きました。
また子供たちを遊ばせたいものです。
TK-13さん、ありがとうございます!上山田の方からも、しろすべは慕われているんですね。子育てをしている人がわざわざやってくる…ということは、町にとってうれしいことですね。(ニュータウンにはとくに必要な気がします。)
前にコメントいただいた方でも、どうぞ書き込んでくださ~い!たくさんあったほうがお伝えしやすいですから…
何十年もこの滑り台の横を通って駅に行き
この滑り台に向かって帰ってきた私。
ちょっと長く家をあけていて
駅からの階段をのぼってきて白い象さんが見えたら
家に帰ってきた~という実感したもんです。
これは名神高速道路・吹田出口で出て、太陽の塔が見えると同じで
片や岡本太郎の歴史的モニュメントですが、
この象の滑り台だって、人の心への残り方は負けないと思います。
小学生の頃、彗星か月蝕か忘れましたが、
「観察」と称して夜に友達数人と集まって
とりあえずあのあたりで一番高いところということで、
上ったことを思い出しました。
多分おしゃべりに夢中で大して空は見なかったと思いますけど。
数年前にこっそり上ってみたら、子供の頃は自由自在に登って降りれたのに、
なんともぎこちなくて「年月」を思い知らされましたけど。
住んでいた団地は、ほどなく影も形もなくなって街の様子は変わると思うけど
この滑り台がどこかに残れば、一瞬で子供時代にワープ出来そうです。
既成の滑り台にはない子供心をくすぐる造形が、この滑り台には
あると思うので、藤白台のシンボルのひとつとして保存をお願いしたいです。
雪の日の「しろろべ」の写真です。
http://senrinewtown.main.jp/20120209/222010
建替えが終わっても、また雪の日の「しろすべ」を見たいと思います。
みゅらさん、yasuhiroさん、ありがとうございます!ただいま北海道ニュータウンツアーから帰阪しました。北海道のニュータウンもがんばっていました!
「しろすべ」に関する思い出、まだまだお待ちしていま~す!
2011/10/08付「キンモクセイの香りに包まれて」で
コメントさせていただきました。
再び「しろすべ」の話題ですね!
是非残して欲しいと願います!
この滑り台、ただ滑るというだけでなく
「基地」っぽくて中にいるとワクワクさせられました。
また団地族で育った私たちには
「一戸建て」の我が家のような感覚も
持ったかもしれません。
途中のデッキのようなスペースは
「誰々ちゃんのお部屋!」とか
「屋上はお父さん!」とか…。
今も心のふるさとです!
藤の木公園とか近隣への移築が望ましいかな…!
あきあきさん、ありがとうございます。そうですねえ、どこへ持っていけばいいでしょうか(ベストは同じ場所がいいけれどそれは難しそう…)。今の場所に近くて皆が遊べる場所がいいですね。
引き続き「しろすべ」へのメッセージをお待ちしていま~す!
通りすがりの者です。いつも楽しく拝見させていただいております。皆さんの思い入れはとてもよく伝わってくるのですが、その分野に携わる者として少々つらいお話もすべきかなと思い書かせていただきます。近年の日本の公園に新設される遊具には、遊具協会の認定制度や保障制度が必要とされる場合がほとんどです。これは利用者の負傷などによる保障や訴訟に対して、設置者の責任や遊具の選定根拠(選定の正当性)となります。こういった認定や保証はこの滑り台に対しては難しいと考えられます。移設は技術的には可能だと思いますが、こういった問題が別にあることは確かだと思います。逆にこれをクリアできれば、移設は現実味が出てくるとは思いますが、残念ながら私には提案できるアイデアはありません。
遊具協会のURLです
http://www.jpfa.or.jp/nintei/nintei_sp.html
助言ありがとうございます。安全性のことがあるんだろうなということは、承知しています。そこは当事者(今は大和ハウスなど?)も含め検証していただかないといけないだろうとは思うのですが(現実的なことを言ったらお金や場所、移設手順の問題もあります)、ここではまず皆さんの思いを集めたいなと。思いだけは地域住民(+元住民)の方以外からは出てこないからです。ですからこれはまったく保証のない話なんですが、それでも思い出を集めることは大切なことだろうと思います。現状では既製品しか新設は難しい状況なんでしょうか?
藤白台で幼少時代を過ごした者です。
今になって白い象だったということを知りました笑
今思えばすごく変わった遊具です。いつも同じところをくぐってはなんだかワープした気分になってたのを覚えてます。
残してほしい。もし子供ができたら是非遊ばせたいです。
ワルガキさん、とっても残念ですが力及ばずもう撤去されてしまいました…今はこの一角、更地になっています。建替計画全体がすごくもめて、こういう「子供視点の」願いは入り込む余地がありませんでした。せめて今はこのブログで往時をしのんでください。「ゾウのすべり台」というのは僕にはそうも見えたというだけで、「抽象立体」だったというほうが正しいです。まもなくマンション建設の工事が始まります。これまでの団地の時も敷地内には入れたので、分譲マンションになっても敷地内通り抜けはできることになりました。それだけでも大変な交渉でした。桜の木を増殖したり「新しい魅力」づくりにも配慮していただいていますが、数年は大改造の工事が続きます。
「しろすべ」の写真、ありがたく、懐かしく拝見させていただきました。今は遠く北海道でまちづくり団体で活動しています。記事内の上2枚の写真には私が住んでいた家、そして、私の部屋だったところが写っています。昔、私の母親がコンクリートで作られたニュータウンを指して「お前はかわいそうだね。ふるさとがないんだから」といっていたのを思い出します。でも今、50歳近くになって思うことは、そして、はっきりと言えることは「千里ニュータウンが、北千里が、藤白台3丁目が私のふるさとだ」ということです。とてもいい写真を見せていただきました。本当にありがとうございました。
「ニュータウンで育つ」ことは、「まちをつくる」ことを実体験として感じながら育つということですね。北海道も何度か行きましたが「ふるさとでない場所を自分でふるさとにする」気持ちはかなり共通のものがあるように思います。いま、この敷地は一番南の4棟(A15~A18棟)だけが残っていますが、駅の近く(旧A1~A4棟部分)の新棟がまもなく完成するので引越のあと解体に入ります。旧A5~A18棟部分には北から順番に民間分譲マンションが建てられ、2016年にすべて完成する予定です。そこがまた、新しい子供たちのふるさとになっていくでしょう。「しろすべ」はなくなりましたがニュータウンの物語は続いていきます。
http://www.daiwahouse.co.jp/mansion/kinki/osaka/kitasenri/index.html
「新しい子供たちのふるさとになっていく」素敵な言葉ですね。だからこそ、ニュータウンなのですね。まちが再生され、次の50年が始まっていく。何だかニュータウンの再生計画を前向きに捉えることができたように思えます。初代しろすべにありがとうとお別れを言いつつ、新しい子供たちのふるさとに、次の50年を担ってくれる「しろすべ」を早く見てみたくなりました。
団地建替では相当モメたし新しいマンションはどこで遊ぶんだろうと思うぐらい敷地が駐車場でいっぱいですが、分譲マンションでも敷地内の通り抜けはできるようにしてもらったり桜を植え増したり広場を造ったり、高度利用しつつ精一杯工夫してもらいました。建替が進んだ千里中央や南千里周辺では若い家族が増えて町が明るくなったと言われます。ニュータウンの精神を守るために形を変えることも必要…だと思います。ぜひ見に帰っていらしてください。マンションの広告サイト見てると「ずいぶん色直してるな」って感じですが、たしかにこれぐらいいい町なのかもと思いますね。
あるじ様
はじめまして
全く時期外れなところへお邪魔します…
A10棟に2001年まで約30年住んでいました
このブログにたどりついたのが本日初めてで
しろすべの件も初めて知りました
しろすべ様にはよく遊んでもらいました
何度も落ちました
しょっちゅう頭打ちました
♪緑の中を走り抜けてく中古のスバル~
っていう替え歌を先輩に教えてもらったのが
しろすべで遊んでいる時でした…
北町の床屋に来るついでに
時々解体の様子を見に来ていたのですが
白い板で囲われた向こう側を見ることはできず
自分が住んでいたA10棟の2階の様子を見るにとどまっていました
ダストシュートやゴミの焼却炉の話が出てきて
自分が小さかった時の情景が思い出されました
今は兵庫県の山奥に住んでおり
藤白台に来る機会は非常に少ないですが
街並みが新たに整ったら
ぜひ立ち寄りたいと思っています
子供たちも連れて…
写真家の永井さんってリョウマ君のお父様でしょうか?
であれば少年野球で大変お世話になりました
またココにお邪魔しに来ます
ありがとうございました
中村調子ノリ@A10-10X
公社藤白台の敷地は現在、旧棟はすべて解体され、坂の途中から上の部分はこんなマンションに変身中です。
http://www.daiwahouse.co.jp/mansion/kinki/osaka/kitasenri/index.html?cam=63&med=124
駅から近いのでなかなか反響はいいと聞いています。北側から順に建てていってるので、A10棟のあったあたりも新棟が徐々に見えてきています。いまはまだ、藤白台小学校の校庭から箕面の山が見えるという「今しかない」珍しい景色が見えています!来年の今頃には第1期分は入居になっています。永井さんは息子さんはおられますがお名前は存じません。変貌する藤白台ですが、またふらりと来てくださいね。
A10棟の東端に住んでいた当時は
ふじしろ幼稚園の先に北公園の『風の塔』(風車って言うてましたけど…)が見えて
その先に箕面の山が見えていました
学校から箕面の山が見えるとは…
遠方凝視(今でもやっているんでしょうか?)で
眼に良いからといって
緑を見ましょうって小学校で習いましたが
今だけは箕面の山で遠方凝視ができるんですね
北町の床屋に行くたびに藤白台に帰って
よりよく変貌していくところを見ていたいです
ありがとうございました
また来ます
中村調子ノリ
「風の道」ですね。いまも回っていますよ。
http://senri-g1964.at.webry.info/201110/article_11.html
手前の建物がなくなると、箕面ってけっこう近く感じます。阪神の震災後に阪神高速をいったん撤去して六甲山が近く感じたのと似ているかも。