きょう2月15日朝のNHK「チコちゃんに叱られる」(再放送)で、エスカレーターがなぜ東京では「左立ち(右あけ)」で、大阪は「右立ち(左あけ)」かをやっていましたね。
チコちゃんのお答えは、阪急電鉄が1967年に梅田駅に設置した「動く歩道」で、「お急ぎになる方のために左側をおあけください」とアナウンスしたから…というもの。それがいつのまにかエスカレーターにも応用されるようになった。逆に東京では東京メトロの新御茶ノ水駅の長いエスカレーターから「左立ち」が普及したのではないか?という推理でした。
1967年の阪急の資料が家にありました!(当時の社名は「京阪神急行電鉄」)株主向けの第120期営業報告書です。この写真では皆立ち止まってるように見えますが…。番組中では、(さすがNHK)阪急が1998年まで流していたアナウンスの音声まで出てきました。
ポイントは「70年万博がこの習慣の起源ではない」ということです。たしかに万博会場では多数の動く歩道が設置されていましたが、スロープになっていた部分もあり、会期中には大きな転倒事故も起きているので、「上を歩くように」案内をしていたとは思えません。 慣れた通勤客がメインだった梅田駅と、子供老人おのぼりさんごちゃまぜの万博会場という「利用者の違い」が、歩いてもいいことにするか、立ち止まらせるかの対応の違いになったのかもしれません。「速く人を吐き出してしまう」か、「広い会場でラクしてもらう」か、どちらのために機械を使うか?という哲学の問題でもありますね。
ちなみに1967年の「梅田駅拡張第1期工事」では、神戸線だけが国鉄の北側の現ホームに移設され、宝塚線と京都線のホームは、現在の阪急百貨店の広い通路のあたりに残っていました。この間をつなぐため、国鉄のガードの下などに「動く歩道」が設置されました。この時移設された神戸線ホームの位置は、現在の宝塚線のホームの3線です。
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