私が「聞き役」となってお手伝いした千里ニュータウン情報館のオンラインセミナー「自動改札機開発秘話」(2021年11月21日)の記録がようやくまとまりました!お話しいただいたのは、オムロンOBの田中壽雄さんと浅田武夫さん。
半世紀以上昔の貴重なお話を…開発に心血を注がれたご本人たちから直に、まるで昨日あったことのようにいきいきと伺ってまとめる経験というのは、本当に得難く幸福なことでした。お2人とももう80を越していらっしゃいますが、話に「揺らぎ」がないのです。実にシャープで、明晰で、自動改札機の中をあけて見ているように精密で、それでいて血も涙もワクワクと伝わってくるのです。(ちなみにパワーポイントもめちゃくちゃ緻密に作られていました!)
メカの部分の苦労話はNHKの「プロジェクトX」(2001年)でも取り上げられたとおりですが、地元住民として好きだったのは、問題を洗い出すために連日北千里に泊まり込みで、終電が終わったあとに阪急の駅員さんと屋台でおでんをつついたシーン。まだ造成現場の荒っぽさが残る開発途上の北千里駅界隈が「町」になっていく現場を目撃しているようではありませんか。昼も北千里駅。連日行くので店の人に顔を知られてしまって、自家用の「お漬物」を出してもらった話を、本当にうれしそうに語っていただきました。駅前の北センターは一挙にではなくだんだん出来ていったので、最初の頃は食事ができた店など数軒しかなかったはずです。
朝も昼も晩も現場に詰めて、数年かけてやっとシステム化のめどが立ち、ほかの駅に広がっていった自動改札機。北千里駅はやはり「聖地」で、その地元住民が町の誇りに思っているんだということを、お2人は大変感謝していらっしゃいました。
未来は与えられるものではなく自分たちで試行錯誤して創り出すもので、そのプロセスには開発者だけではなく利用客の協力も重要な要素だったこと。ニュータウンらしくて、大阪らしくて、お2人をお呼びできたことは私も大変うれしかったです。こちらからお読みください。
コメント
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こんにちは。まさにこの年生まれです。
北千里駅が出来る前は、確か千里山までバスで通勤していたと聞いています。親に写真を見せようと思います。
飲食店では、ピーコック近くの2階にあった
風車によく行きました。懐かしいです。
北千里からバスが出ていたのは「新千里山」(南千里)までです。1963年に千里山から新千里山まで線路が伸びました。1962年に佐竹台などに入居した人たちは、約1年間、千里山までの暫定バスで通勤していたそうです。