砂子谷新池
- 2010/4/11
- 千里ニュータウン, 周辺地域
- まちあるき, 自然
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南千里と春日(下新田)を結ぶ道の途中にある砂子谷新池(すなこだにしんいけ)。「新池」という名前からも察せられるように人造の池で、江戸時代のはじめ、春日(下新田)が開拓されたときに農業用に造られたようです。千里ニュータウン周辺の池にしては珍しく平坦な場所にあって、満々と水が張られています。今も農業用水として使われているのかもしれません。
春日(下新田)はもともと上新田とセットで三島郡新田村を形成していましたが、1953年、下新田は吹田市と、上新田は豊中市と合併しました。分村合併になったのは交通の便からだということですが(もちろん当時は千里ニュータウンも新御堂筋もありません)、もとは山田村から上新田に人が分かれ、さらに下新田に分かれたということです。
池の左が、3月に開通した新道。昔からの旧道は、この写真を撮っている位置から池を時計回りに回り込んでいき、新道とクロスします(新道が開通してクルマの通過量が減り、静かになりました)。池の正面が新御堂筋方面。池の右が、南千里中学校(この学校の住所は桃山台四丁目ですが、例外的にニュータウン計画区域外です)。いろいろな時代の「ニュー」や「新」が交錯する砂子谷界隈。春の光をたたえてのどかです。
コメント
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コメント (2)
過去の航空写真を見ますと、写真左のUR千里春日台団地
はありませんでした。そのかわりURがある場所に、こじんまりした ため池がありました。もちろん千里新田小や南千里中は、蔭も形もありません(笑)ただ、砂小谷新池の北東側山上は、山を切り開いている様子でした。
国土地理院の「国土変遷アーカイブ」というサイトで、戦後いろいろな時代の航空写真が見られますね。こちらは1948年。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M27-2&photono=78
砂子谷新池が半分埋まって見えること、春日大池が2つに分かれていたこと、旧道の曲がり方は今と同じなこと、たしかに下新田は千里山に、上新田は熊野田に近く、分村合併になった理由が推察できるなど、見ていると飽きません。このサイトで1964年の写真を探すと、出現したての未来都市・千里ニュータウンが空から見られます。