いきなりシモキタ
- 2007/1/30
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- まちの記憶, 東京
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突然ですが私が東京にいたころ暮らしていた世田谷・下北沢の町です。駅のホームの端から踏切ごしに撮った写真でゴチャゴチャしてますが…本物の下北沢は、もっとゴチャゴチャしています!
この町には3つの顔があって、
1.井の頭線と小田急線の乗換駅・サブターミナルとしての下北沢。2.若者の町としてのシモキタ。3.世田谷の住宅街としての北沢(正式な町名はこれ)。…これらが渾然一体となって、混沌とした魅力になっているのが特長です。
2.の「若者の町」としてが一番有名なようですが、元はと言えば大正末~昭和初期、関東大震災後の山の手への人口移動とともに宅地化したのが始まり。第一世代だった当時の新婚さんは…いまご存命なら100歳ぐらいということになりますが、僕が住み始めた1984年ごろには、まだ80歳前後で、大家さんのおばあちゃんがそうでした。家賃を払いに行くと「私が嫁に来た頃は笹塚の駅までずっと雑木林で…」と話を聞かされたものです。
そんな三世代家族の庭がアパートになり…そこに住んでた若者の一人が僕。そういうお宅はけっこうあったのですが、結果、子供から若者から中年からお年寄りまで、オール世代共生のオープンマインドな街になっていたのが好きなところでした。オシャレなお店もあるけれど、破れたジーンズにツッカケでもOKな雰囲気。…もちろん雑然としてましたし、道が狭くて火事には本当に要注意でしたが…一度は戦後の闇市がそのまま残った駅前市場が朝方ボヤを出し、消防車は小田急線の「開かずの踏切」で向こうに渡れず、消防車がモタモタしてるうちに市場の隣のピーコックの消防団が火を消し止めた…という騒ぎもありました。ご近所の輪ってやつですよね。
…と書いてくると、千里ニュータウンにないものを求めていたような気もしますが、千里ももっと若者を広い心で受け入れて、多様性のある街になるといいなあと。そう思うんですよね。アパートの窓をあけたまま目覚まし代わりに大音量で音楽かけて、申し訳ないことしたなあと思いますが…
僕に二番目のふるさとがあるとしたら、それは下北沢です。千里は外から来た若者の「二番目のふるさと」になれているでしょうか?
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コメント (2)
森と草原、畑、牧場そんな2つの異なる環境要素がぶつかる場所をエコ・トーンといいます。海辺、川、沼などもそうです。そこは変化が大きく、資源の豊富なところで、人や動物が住みやすい。ニュータウンでは公的にがっちり制約された住居区と、①そうでない旧住居区、および②新しく民間開発されている里山や畑とのすき間がエコトーンでしょう。すると、下北沢は前者、千里では五月が丘などは後者、その中間にあるのが上新田となる。後者は、スプロール化といわれますが、エコトーンとみたとき、相互作用は?違いは?、法則性は?などをみれば、おもしろいと思うのですが。うん、もっと考えにゃならんな。
陸と海の間の「干潟」とか「なぎさ」もエコ・トーンなんですね?(ちょっと詩的)
都市的には、繁華街と住宅街の間には渋いツウ好みの店が立地すると言われたりしますが。