読者のtsugioさんから藤白台近隣センターの古い写真を送っていただきました!たぶん1970年の正月だろう、とのことです。お店は閉まっていて人影がありません。閉まったシャッターには正月の朝日らしい貼り紙も見えます。親戚が来て一緒にパチリ!の瞬間です。
時計塔の広告には、「ナショナル坊や」と一緒に万博のマークが入っています(マーク制定は1966年春、パナカラー発売は1968年、また、会期終了後にも広告が取り替えられなかったこともありえますから、1969年または1971年以降の正月であった可能性も完全には消せません…たぶん1970年だろうとは思いますが…)。3C時代と言われたのが1966年で、カー、クーラーとともにカラーテレビは憧れの的でした。テレビ番組もカラーと白黒が混在していた時代で、新聞のテレビ欄には番組ごとに「カラー」のマークがついていて、白黒テレビの家の子供をくやしがらせていました。(そのうちほとんどカラー番組になって、「カラー」マークがテレビ欄から消えても、うちはまだ白黒テレビでした…)
冬だということありますが、背後はやけにさっぱりしていて、緑があまり茂っている様子がありません。2000年の写真と比べると、変化がわかります。
この形の時計塔は、藤白台以外の近隣センターなどにも同じものがありました。後ろの青いフタのゴミ箱も、千里NTにはあちこちに同じものがあったと思います。ストリートファニチャー類にも、千里には特徴がありました。
スチルの写真のカラー化が急速に進んだのも、1960年代後半でした。カラーフィルムで撮ったカラーテレビの広告塔。当初、カラーはフィルム代も現像代も白黒よりはるかに高かったのですが、お正月で親戚も来たからお父さんがフンパツしたのかもしれませんね。
藤白台近隣センターは、2003年に建て替えられて「ゆらら藤白台」となりました。この時計塔は撤去されてしまっていますが、ほぼ同じ位置に新しい時計が立っています。定点観測ぽく、その時計の写真もこんど撮ってきてご報告しましょう。
いよいよ世紀の万博の年が始まる「嵐の前の静けさ」…かな…
tsugioさん、ありがとうございました。町の様子がわかるこんな古い写真がありましたら、どうぞご一報ください。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (2)
写真はお恥ずかしい限りですが、何か藤白台の風景が写っているものはないかと探していて見付けたものです。自宅の写真を見直してもあの頃の写真は何処かに出掛けた時のものばかりで藤白台や千里ニュータウンの風景が写っているものがほとんどありませんでした。(-_-;)
この写真は元日に撮ってもらったことは間違いありませんが、1970年なのか69年なのか、はたまた71年なのかまだ不明です。すみません。(o__)o
この写真をお送りしてから、ふと思ったことがあります。時計台右の屋根のあるスペースは何のためにあったのでしょうか?バス停は左奥、青いゴミ箱の位置にありましたので、バスの待合所でもありません。井戸端会議用の椅子があった記憶もなく、写真では円柱形の灰皿の様なものが見えます。この頃から分煙という考え方があったとも思えず....はてなはてな場所ですね。
屋根のあるスペースは(バス停とはズレているけど)バス待ちの人のための雨よけのつもりで作ったんじゃないでしょうか?「藤白台センター前」(現「ゆらら藤白台」)は、地域の人が集まる場所として利用者は多かったし、ロータリーになっているから藤白台回りに乗る人も古江台回りに乗る人も同じ場所を使います。ちょっとした立ち話ができる井戸端的な場所も兼ねて設計されたんじゃないでしょうか?椅子もなかったのは、千里NTの設計の発想がただ「若かった」からじゃないかな?あるいは「荷おろし場」的な機能も考えたのか…?右手にスロープが続いていて、その先は郵便局とポストがありましたよね?吉永小百合さんも映画の中でこのスロープを歩いてきます。
藤白台のバス停に屋根がついたのはかなり最近、2000年前後のことでした。今でも屋根のないバス停もあります。