実験精神のあしあと
- 2007/8/3
- 藤白台
- まちあるき, 学校
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藤白台小学校の(元)低学年用校舎(手前の平屋建て)。今はそういう使い分けをしていないようですが…。
ニュータウンの学校の設計にはかなり「凝った特徴」があり、藤白台ほかで採用された高低分離という考え方もその一つです。今は児童数が増えてごちゃごちゃになってしまいましたが、小学校の6年間は1年生と6年生では体の大きさもかなり違うため、1・2年生用の校舎と、3年生以上用の校舎をハッキリ分け、校庭も別々にしようと。1・2年生用の校舎はこのように平屋にして、背も低めに造り、教室から直接校庭に出られる(幼稚園に近い)設計になっています。この校舎は傾斜屋根で写真左端には明かり取りの天窓もあり、雨天のときに使えるホールに面しています。古江台小学校も低学年用校舎を分けていましたね。
…それどころか、千里ニュータウンでは「6・3・3」という学制さえ変えて、幼稚園の2年を加えて「4・4・3・3」にしようという試みさえありました。と言っても千里ニュータウンだけ法律を変えられませんから、小学校の2年以下を分校にして、幼稚園と併設にしてしまう…という形でそれを実現しようとしました。
このため最初の住区である佐竹台では、現在の佐竹台幼稚園の園舎で佐竹台小学校は開校しました。ごく初期段階のプランでは、一住区に「幼稚園+小学校低学年」の施設を2セット造ることで、小さな子供の徒歩距離を短くする構想まであったのです。
しかしそれはすぐに頓挫し…財政的に合わないのと、だいたい小学校は公立、幼稚園は原則私立を誘致する方針が一方であったのに抱き合わせにしようとしたことに無理がありました…いわば「妥協策」として、開発中期の住区では、せめて同じ小学校敷地の中で「高低分離」をしようとしたのです。
…という、学制を曲げてまで実験をしようとした当時の大阪府の意欲を考えると…それが上手くいかなかったとしても…「お役所仕事」=役人はつねに定型的にことを運ぶ…という先入観とは全く違った実験精神があったことに驚きます。
それが10年もたたないうちに児童数の計算が大幅に狂い、低学年用の校庭もつぶしてどんどん増築せざるを得なくなり…せめてもうちょっとキレイにペイントするなり、メンテをしっかりできないのかと思うのですが…ニュータウンの学校は一校一校設計に凝りすぎたため、共通部品が使えず、メンテナンスに苦労するそうです。ああ!最初の理想は高かったのに…できれば昔の赤と白の塗り分けに戻せないのかな~?「子供を行かせたくなる公立学校」に…!もちろん中身は今のほうが充実してると思いますが!(希望的推測)
コメント
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コメント (4)
私たち兄弟は、この低学年校舎にあった「かぎっ子教室」にお世話になりました。
それから、入学したばかりの頃は旧校舎とこの校舎を結ぶ渡り廊下の蛇口からお茶が出ていたのを思い出しました。何年か前にTVの番組で関西出身の若いタレントもそのことを話していたので間違いないと思います…。
お茶が出る蛇口、ありましたありました!(話が合ってホッ。)今はどうなんだろ?「かぎっ子」という言葉もなつかしいです。今のお母さんのほうがはるかに外で働いているはずなのにそういう言葉を聞かなくなったのは、あまりにもあたりまえになったからでしょうか?
でも何でお茶が出るようにしたんですかね?
それから、高さ7、80センチの冷水飲料機(名前忘れました)が2、3台小学校に置かれたのも在学中だったような……記憶違いかも(^_^;)
それは実験精神…とはたぶん何の関係もなくて、ひょっとしたら給湯の労力軽減を図ったとか、そういう設備の売り込みがあったとか…そんなことだったのでは?ペットボトルも缶飲料もほとんどない時代でしたし…。冷水機は玄関の脇にあったような気がします。