1983年2月12日・ここはどこでしょう?
- 2007/12/11
- 藤白台
- まちの記憶, 自然, 定点観測
- 4 comments
少し南千里方面の紅葉レポートが続きましたが、きょうから5回連続で、藤白台のある地点の歳月と季節による変化を追いかけます。
大阪大学から大阪工業大学に移られた吉村英祐先生の研究室からご提供をいただいた1枚の写真。当時の院生の方が研究用に撮られたフィルムの余りコマに入っていました。1983年2月12日撮影。ここはどこでしょう?さっぱりしすぎてて少しサビシー景色ですが…。いまや藤白台の中でも一番有名なポイントです。(ある季節だけ)
次回はこのポイントの現在、同じ2月の写真をお届けします。
コメント
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コメント (4)
ふうん、こんな感じだったんだ。
1983年2月12日だったら、歩きのときはこの道通ってたので、たしかに馴染みのある景色ですね。ちなみに、クルマのときは風の道の方からでした。
いま、あんなにきれいな方が、え? そうだったっけ? って感じですね。いつのまにあんなになったんだろうか?
桜通りは確かに昔からきれいだったし、紅葉ではなく若葉の萌える千里2号線(北消防署近辺)が、昔はきれいだなあ、といつもおもっていました。
全然思い出せません。私がいた昭和41~51年ころは子供心に高層建築物というとC-47と太陽の塔しか印象にないですね。左のマンションみたいなのは記憶にないんです。
それに43にもなると歩んできた人生の分だけ脳細胞の引出しが未整理のため、細かい記憶が出てきません。
なんとか時間を作って、変わらないうちに”故郷”をたずねたいなぁとちょっと焦っている今日この頃です(^^;)
左手奥のマンションは1980年頃にできたから、昭和51年(1976年)までの記憶だとわからないのも無理ないですね。このマンションは藤小校区ですが藤白台ではありません…って言ったらもっと混乱するか…?答えを出すのはあと1日だけ待ちましょう…。ちなみに高層はC47でなくてC74です…。惜しい!
「74」と打ち込んだはずが「47」となってしまい失礼しました。でもなんとなくわかりました。