「ふれあいの道」の歴史(前編)

藤白橋のたもとから、公社の敷地を抜けて藤白台小学校正門や戸建住宅街に向かう「ふれあいの道」。公社住民だけでなく、藤白台の戸建の真ん中あたり(四丁目南部~二丁目北部)の住民、小学校に通う人、阪大キャンパスの南半分(医学部、人間科学部、歯学部、薬学部)に通う人などがいきかう重要な歩行路になっていますが、これから公社の工事が北側に移ってくるので順次しばらく通れなくなります。
この機会に、この道の歴史をきちんと書いておきましょう。
ニュータウン開発当初、この道はありませんでした。ここは手つかずの竹林や雑木林が生い茂る急斜面のままで、戸建の住民はふじしろ幼稚園前から北千里に下るバス道(今の「三色彩道」…当時はそんな名前なかったけど…)をぐるっと回らないと、北千里方面へは行けなかったのです。あるいは小学校の校門前から藤白公園の南を下る道か…。ここは子供には「町の真ん中の秘境」で、斜面にトンネルを掘って秘密基地を作って遊ぶのにもってこいの場所でした。(よく崩れなかったもんだ…汗)
ところが1967年に北千里の駅ができ、翌年ぐらいに藤白橋ができ、いつのまにか(1970年代に入ってから?)、藤白橋のたもとから急斜面にそって突っ切るとバス道を回るより速く駅に行けるので、ここには「ふみわけ道」ができるようになりました。…とはいってもひどい急斜面で一部は藪こぎみたいなことをしないと通れない状態でしたから、スーツを着た大人やスカートをはいたお母さんはそんなところ通るはずがありません。千里の地質は粘土質で、濡れると滑るのです。阪大のキャンパスは1968年から順次移転が始まりましたが、一番早かったのは北寄りにある工学部で、南半分ができたのはずいぶんあとです。ふみわけ道をつけたのは子供達だったと思います。
バス道より内側、公社の棟の間を階段伝いに下りてくる道は最初からあったのですが、階段が急なのでそう近道にはなりません。「斜面トラバース」はそれに比べると飛躍的に近かったのです。
しかしこれはあまりに危ないと大人が考えたのか、そもそも団地の真ん中に手つかずの急斜面があることが防災上も問題視されたのか、団地の人たちも小学校などへ行くときはこのルートが通れるとはるかに便利だったためか、1974年ぐらいにこの斜面は本格的に整備されました。竹藪は伐採され、ふみわけ道のルートに沿ってコンクリートの道が造られました。A12棟とA13+A14棟の間、ゾウのすべり台(しろすべ)の横に上がる枝道の部分は、開発時に造成してあった斜面と擁壁の上に土を盛って、新しい坂道をつけました(擁壁の上から土を盛り足した様子は、今見てもわかります)。藤白橋から東側の市道に下りる道は当初はスロープだけだったのですが、南に階段が継ぎ足され、するとこのルートの目の前につながるのでものすごく便利になったのです。
竹藪を伐採した斜面はきちんと整地され、代わりに公社住民の人が「鳥が来る森をつくろう」と、鳥が食べる実のなる樹種を選んで植えたと聞きます。斜面の整備も、道のコンクリ打ちも公社住民が勤労奉仕してやったので、この道をとりまく環境は、オリジナルの千里丘陵でもなく、大阪府の開発でもなく、まさに「住民が造った」環境なのです。「ふれあいの道」の階段は一段ずつ微妙に高さが違ったりして素人っぽいところがありますが、それは公社住民が協力して自力で造ったからなんです。
この道は、最初から(今でも)公社敷地内の通路です。公道ではありません。ところが便利になると戸建の住民の大人も、南側にキャンパスが広がってしだいに増えてきた阪大関係者もここを自然に通るようになり、「敷地内通路なのに皆が通る」状態が定着しました。公社自治会の対応はそのときによって微妙に変わり、「通り抜け禁止」の看板が出たこともあれば(今でも出ています)、プランターをフェンスに架けて「ふれあいの道です」とソフトに寄ったときもあります。ここを通る多くの人は、もういわれも知らなくて、公道みたいに思ってる人も多いのかもしれません。駅から藤白橋を渡ると目の前にこの道の入口があるのですから…
「ふれあいの道」という名前はそう古くはなく、2000年少し前につけられたものです。団地では自家用車の増加がこの40年間たえず問題で、棟の前だけで停めきれなくなったクルマはゾウのすべり台の横の坂を下りていま児童遊園になっている場所まで引き込んでいたのですが、棟から遠いこと、クルマが一番奥まで入るのは子供の動線と交錯するので、棟の前の緑地帯を削り、それまで縦列駐車だったのを棟と直角に停めることに変えて収容力を増やし、その代わりにA9棟とA10棟の間にあった遊具を下に持っていってクルマは奥まで入らなくしました。この部分の坂道で歩行者しか通らないのに歩道と車道が分かれているようになっているのは、奥に駐車場があった頃のなごりです。
(長くなったので、つづく!)

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コメント

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  • コメント (1)

    • 奥居武
    • 2011年 11月 26日

    公社住民でカメラマンの永井俊雄さんからこの「ふれあいの道」と斜面を整備した記録写真を貸していただきました。ここが整備されたのは、1976年です。住民が総出で木を植えている写真、感動しますよ!

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