千里ニュータウンの真ん中にはぽっかりとニュータウンではない「除外地」=豊中市上新田があることはよく知られています。上新田は江戸時代から続く古い集落で、ニュータウン開発当時に200戸あまりの集落があったため、この集落部分を除外して開発が行われました。
こちらはもうひとつの除外地…「大阪市立弘済院」(こうさいいん)です。住所は古江台六丁目ですが、ニュータウン外。吹田市なのに「大阪市立」というのも意外ですね。この一角には老人ホーム、病院、児童養護施設、施設内の子供のための小中学校もあり、千里ニュータウンとは別世界を作っています。歴史は古くて明治時代に大阪市内でスタートし、1934年にこの場所に移転してきたそうです。ニュータウンより30年ほども先輩です。
地図を見ると、古江台の南端、中央環状線のすぐ上に細い道が弓なりにあるのがわかります。この部分は、豊中~上新田~山田に抜ける旧道の一部分で、万博に向けて新しい中央環状線が作られたときに分断されて北側に取り残された名残りです。現在は「山田弘済院」というバス停が中央環状線の南側にありますが、元は弓なりの頂点の部分にあり、僕がニュータウンに越してきた1964年頃は、まだボンネット型の車掌さんが乗ったバスが走っていました。この路線は吹田から豊中へ抜ける市北部の唯一の路線で、まさに「田舎のバス」という風情でした。「山田弘済院」は、バスが行き違う山中のちょっとしたオアシスみたいな感じでした。
いまその地点は周囲の変化とも無縁なように、ひっそりとたたずんでいます。いまにも並木の下をホコリを上げて、ボンネット型の阪急バスが走ってくるようです。切符のカバンを首から提げた車掌さんのナマ声が響きます。「次は~山田弘済院~お降りの方はありませんか~」
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コメント (3)
弘済院が出来たころ、そこで採れた筍を宮内庁に献上していたそうですよ。今でも蕨や土筆が採れますよ。
大阪市の老人ホームが遠く離れた吹田にできたのも、昔は姥捨て山の感覚があったんでしょうね。
いま山田や上新田はマンションいっぱいで昔の面影が減ってしまっていますが、弘済院は道路が切り離されたために本当に昔のままの雰囲気です。(建物は建て替えられていますが…)
つい数年前まで(つまり21世紀に入ってからも!)上新田では筍のカンヅメ工場をやっていたとのことですが、「千里のタケノコ」を食用商品として復活できないでしょうかね?「竹の会」あたりで…
私は、1967年から1969年頃に児童ホームに来たのですが、あの頃が懐かしいです。万博博覧会、又、北消防署近くで山登りやら、魚釣りをしましたね、万博の開催には象が道路をありいてたね。