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あまりの美しさにもう一回(岐阜・可児桜ヶ丘ハイツ)
- 2008/7/18
- 日本のニュータウン, 東海甲信越
- まちあるき, 戸建
- 2 comments
桜ヶ丘ハイツは「桜ヶ丘」「皐(さつき)ヶ丘」「桂ヶ丘」の3つの町名からなっていますが、一番新しい桂ヶ丘にやってきました。
こちらも美しい芝生歩道です。開発後年数が浅いせいか、こちらのほうが芝生のまま保たれている場所が多いように感じました。向こうのバス停のあたりだけは、舗装されているのがわかります。桜ヶ丘は1974年から入居が始まり、以後34年、同じコンセプトでこつこつとこの景観を作り続けてきたことは、開発者も住民も行政も、並々ならぬ努力を続けてこられたのだろうと思います。
あちこちリンクをたどっていったら、やはり地区計画で縛りをかけていました。「造成初期頃の入居者の子供たちはほとんど仕事の関係で転出しており、近年は高齢化傾向にあります。」という記述も見かけましたので、ニュータウン的人口動態は、千里や多摩と共通の部分があります。とは言っても一番古い「桜ヶ丘」地区で、人口は「微減」と言っていい範囲にとどまっていますから、ゆっくり開発した町は、人口の変化もゆっくりに収まる…と言えるのかもしれません。
まるでメリー・ポピンズが傘を差して降り立ちそうな、ものすごく美しい町なのですが、もし僕がこの町の住民二世だったら…やっぱり成人したら一度は出て行ったかな?…とも思いました。完璧すぎる町は、青年にとっては自我を発揮しにくい…とも感じられるからです。だらしないスキマがあることも、町にとっては必要なことかもしれません。…屈折したニュータウン二世の感想ですが…
コメント
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コメント (2)
だらしないスキマって面白い表現ですね。
確かに私も子供時代を思い出すと、奇麗な山々の緑より鮮明に思い出すのが、川辺の猫柳に引っかかったビニール袋だったり、凸凹道路の窪みにできた水たまりのアメンボだったりします。 雑然とした自然のなかで育つと、50年後は凸凹人生がまっている!。
じゃあ整然としたニュータウンの中で育つと、50年後は整然とした人生が待っているのか…?そんなことは(ご覧のとおり?)ないわけで、人は一生ニュータウンの中だけで生きていくわけにはいかないからです。「ニュータウン人気質」って、どうなんでしょうね?少しキマジメすぎるかもしれないと、これは千里の例を見ていると、そう思います。(僕みたいに…ってか?)