遠くの町の仲間たち…明舞団地(兵庫)

震災の日に神戸の団地を歩くのも意義があるだろうと考え…行ってきました。明石海峡大橋を間近に望む明石舞子団地…一般には「明舞(めいまい)団地」と呼ばれています。
ここは千里ニュータウンとほぼ同時期の建設で、公団(UR)住宅のタイプも千里とそっくり。背景変えたら青山台みたいですね~。…ということは…やはり住民の高齢化や町の沈滞化が課題になっていて、「再生」への取り組みがされています。タウンセンターの空き店舗を使ってコミュニティカフェや配食サービスをやったり、地元の大学とプロジェクトを組んだり…。こちらのHPによれば再生計画を作ってからはや7年、やはり経済状況の悪化が計画をスローダウンさせているのでしょうか?「明舞団地」そのものは集合住宅群ですが、再生計画は隣接する戸建地区や隣の団地も含んでいるようです。
「大規模団地」と「ニュータウン」の間に線を引くことは難しいのですが、明舞は地区全体で見ると集合住宅も戸建もあり、中心にはタウンセンターがあり、小学校区は複数にまたがるほど広がっていて(なにしろここは、神戸市垂水区と明石市にまたがっているのです)、地区公園や診療所村もあり、「ニュータウン」と言っていい(住宅だけではない)有機的な設計になっていました。この団地の建設に際しては、国鉄も入口に駅さえ造ったのです。それが朝霧駅。海と明石海峡大橋がホームから見えて、朝霧駅。なんだかカッコよすぎますが、「朝霧」は作った地名ではなく、元からある名前です。
このあたりは阪神大震災のときは震源に間近であったわりには被害が少なかったと言われていますが、隣の垂水に住んでいた会社の先輩は寝ているところに家具が倒れてきたけれど冬布団がクッションになって助かったとか、冷蔵庫の上に乗せていた電子レンジがなぜか冷蔵庫の中に入っていたとか言っていましたから(すごい振動で左右にバウンドしたらしい…)、明舞団地の人たちも大変な目に遭ったでしょう。「被害が少ない」というのは「全壊家屋が少ない」というレベルです。阪神間の鉄道が春まで分断されてしまって、先輩は何ヵ月も通勤にすごく苦労していました。
…そんな混乱の記憶も今は遠くなり、ただ光の帯が静かに海を西へ移っていきました。

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