遠くの町の仲間たち…いわきニュータウン(福島)

遠くまでニュータウンを見に行って雨だったら…の例にばっちりなってしまいましたが、こちらははるばる来たぜ福島県はいわき市。あの常磐炭鉱の。というか常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)の。というか、映画「フラガール」の舞台になった…というのが最近では一番わかりやすいでしょうか。ここにも立派なニュータウンがあります。
ヨウカン型の団地と広い道路。いかにもニュータウンの風景ですが、幹線道路には歩道がなく、完全に歩車分離の設計になっているのも、ますますニュータウンぽい。地方のニュータウンの常として戸建のほうが実は多いのですが、そちらは100坪平均にカーポート3台分標準装備…かなりゆったりとした造りになっています。潔癖なまでの構造は、このニュータウンが区画整理ではなく、完全な新都市として造られたことを物語っています。
1960-70年代、常磐炭鉱の閉山と代替産業の誘致、新しい社会構造に応えるための自治体大合併、バラバラの市街地をつなげるための都市計画…という、この土地に訪れた大激変の中から、常磐ハワイアンセンターが生まれ、いわきニュータウンが生まれました。集合住宅のひとつのルーツは勤労者に均一の住まいを大量に供給した「社宅」であり、その一典型が「炭住(炭鉱住宅)」であったわけですが、いわきの集団住宅は、この時期、炭住からニュータウンへ、がらりと主役交代したわけです。炭鉱から出る温水を生かして観光名物を作り、閉山後の雇用も生み出そう…という大胆なアイデアから常磐ハワイアンセンターが生まれたことは、「フラガール」の中にも出てきました。
いわきニュータウンの中にいま、「炭鉱の町」を思わせるものは何もありません。一種の社宅であった炭住は、閉山後、市営住宅になったそうですが、今ではほとんど姿を消しました。石炭ガラを積み上げた「ズリ山」は、いまや緑に覆われて年配の人でないと出自がわからなくなっているそうです。
しかしその徹底ぶりが、かつてこの土地であった社会の大変化をかえって思わせるし、高度成長という大変化が生んだ千里ニュータウンと、姿は違ってもやはり何か通じるものを感じてしまったのでした。
ちなみに公民館ではハワイアンセンターの元ダンサーによるフラダンス教室もあるようです。

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