昔の人はわかっていた

電車の中で自然に詳しい先輩とばったり。いわく「今回の広島の災害、あれはニュータウンなの?」「いえ、ニュータウンではない、普通の開発のようです」「山裾の宅地開発は日本では珍しくもないけど、昔の人は道理がわかっていたから、谷筋だけは家を建てるのを避けていた。谷筋は降った雨が尾根筋からも集まってくるので、当然危ない。ところが人口が増えてもっと家を建てんならんとなると、広島は平地が少ないし、平たい場所は農業に使いやすいから地主さんは売りたがらない。斜面の谷筋は危ないというなんとなしの常識はあるので地価ももともと安いのだが、安いから買えるという人もいるから規制をしないと市場原理だけでは最終的に宅地になってしまう…」

(なるほど…被災地の下にはタウンハウス形式の県営住宅が並んでいるが、被災前の航空写真を見ると、谷筋だけは最初からよけて建てている…今回の災害で流されたのではなく、最初から谷筋だけ抜いてあるのは県は常識をわかっていたわけか…)

「斜面に家を建てるときは建て方があって、谷筋は避けること。急斜面の真下からは建物を離して、間は異変がわかりやすいように高木を払って低木にし、そうすると地面が水を含んでくると察知しやすい。そうやってできたのが京都の山沿いの庭園。お、乗り換えだ」…と、以上、淡路から十三まで。大変勉強になりました。

…ニュータウンオタクなどやっているから、僕のfacebook友達には建築土木関係の人もいて、「自分のこととして」なんとかできなかったのかという投稿が流れてきます。過去の災害例もあり今回の件は「予測できなかった」のではなく「規制が遅かった」ことに尽きるようですが、では、すでに危険地に家を建ててしまっている住民はどうするのか?という問いは重く、ひどく特殊な条件ではないと思うべきでしょう。津波、原発、活断層…多くの課題に同じ図式があります。人口が少なかった時代は住む土地の条件を選べましたが、今はそれがやりにくい時代になっている。しかし僕らには、昔にはない英知もあるはずなんじゃないのでしょうか(あってほしい…)。

防災という面から考えると、公が関与した大規模ニュータウンは(いちおうの常識と技術にのっとって施工されていますから)、土地に既得権のない新参者でも比較的安全な場所を手に入れられるしくみであったと言えるでしょう。このしくみがなければ、多くの都市住民は「あとから来た人間ほど危険な場所に住むことになりやすい」アンフェアなルールに従わなくてはなりません。新参者にも安全な土地を供給したニュータウン。それはやはり偉大なことではなかったのでしょうか。

この投稿は2014年8月23日にfacebookに投稿した文章に加筆したものです。写真はwikimedia commonsからお借りしました。

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