かなりきつい雨の中、朝から救急車の音が途切れません。1977年から42年間、千里ニュータウンにあった「国循」(国立循環器病研究センター)が、同じ吹田市内・岸辺駅前の「健都」に移転する最終日。起きられない入院患者の人たちの移送が始まったようです。無事に完了しますように。先に移転日を決めてからG20の開催が決まり、日が重なって関係者は大変苦労されたことでしょう。G20は事故もなく終わりましたが、雨になりました。

千里ニュータウンから、一つの大きな「知の拠点」が消えることは(移転先も同じ市内ですが)正直言って、寂しい!心臓が先天的に悪かった母も何度もお世話になりました。仕事で関係したこともありました(シンボルマークの策定などをお手伝いしました)。バス通りに出れば、いつも国循は見えていました。

国循の更新は、いったん現地建替で決まっていたのが、計画が遅れるうちに環境が変わり、誘致合戦が再燃して、紆余曲折しました。国内に6つしかない高度専門医療研究センターの1つで(たとえば、あと1つは「国立がん研究センター」)、全国からのアクセスが良ければ、大阪にある必要すらない。病院と研究所が一体になった高度医療センターで、海外への日本の医療の「顔」と言っても過言ではない。それぐらいの施設だったのです。

しかし42年間の「近所づきあい」を振り返ると、地域住民は「大きな専門病院」ぐらいにしか理解していなかったのではないでしょうか?開設当初から大きな建物が建つことで近隣に反対され、今の建物は道路から大きくセットバックすることを余儀なくされました。ヘリポートも作れませんでした。日本でここでしか救えない命もあるというのに、移植臓器を遠くから運ぶのに「ヘリポートがない」というのは致命的な制約です(その必要が生じたときは、伊丹から救急車で運んでいました)。それなのに「地域住民は優先的に診療させろ」という声もたえまなかった。そういう施設じゃ、ないのに。

放送局と同じで、1日、1秒でも機能を止めることはできませんから、「現地内建替」には大きな制約がありました。新しい岸辺の敷地は、今よりも狭いのです。それでも更地に高層化してゼロから造ったほうが合理的だと判断されたのです。ヘリポートも新設されます。

現在の国循の跡地利用は、確定していません。新しい健都のほうばかりクローズアップされていますが(G20でも視察が組み込まれたようです)、古い敷地は「ほったらかし」です。7万4千平方メートルもあるというのに、不透明な話しか聞こえてこないのが悲しいです。ニュータウンの端っこで大規模な住宅には適さない立地なのですが、このままでは都市計画のバランスも考えない「ただの住宅」になってしまいかねません。

反対して、都合のいい利得だけ求めて、千里の「知的レベル」は、こんなものだったのでしょうか?健都へ行った国循には、世界の患者のために飛躍してほしいです!

この投稿は2019年6月30日にfacebookに投稿した文章に加筆したものです。

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