震災25年。35歳だった僕も、60歳になりました。四半世紀、あっという間だなあ!人生速いわ!六甲山上から見た神戸・大阪方面の夜景です。昔は100万ドルの夜景と言われていましたが、バブルの頃から一桁上がって1,000万ドルの夜景と言われるようになりました。(関西らしく、見えている範囲の世帯数と電気代を掛けて計算したそうです…)
私は芦屋で震度7を経験し、家具などはすべて転倒しましたが、偶然にもけが一つせず、倒れてきたブロック塀でぼこぼこになりガラスも割れたクルマで、当日中に5時間かけて千里の実家まで脱出しました。神戸の母の実家は全壊しました。知人・親戚に亡くなった人はいません。被災の程度としては「軽微」と言うべきでしょうが、私にとっては間違いなく「大きな経験」でした。
思えば、ニュータウンが出来ていく過程と、町が一瞬で破壊された瞬間の両方を見てしまったことで、自分の中の「何か」にスイッチが入ったような気がします。生きている以上、ボーッと生きとったらあかんな!と。生きることに対して、多少貪欲になったようです(それでもこの程度ですが…)。町への愛も、いくら言ったって言い足りることはないと、躊躇がなくなりました。それは僕の中の「震災遺産」です。
あれから東日本や、あきらかにシビアになってきた台風など、災害はフェーズが変わってきたかのようです。東海地震も、いつ来るかわかりません。台風も、こんなにキツイのが毎年来たらどうなるんだと、うんざりします。しかし次の災害で不意に死んだら、これまでの災害で生きたくても生きられなかった人に申し訳が立たない。絶対に災害なんかで死なないことが、亡くなった方への最上の供養だと思います。幾度ものつらい経験を経て、社会の防災力は確実に上がってきていると思います。自分の身の回りでは?
このあかりを二度と消さないように。こんなに電気使うから地球温暖化するんだというツッコミはさておき、あかりが灯せる社会であってほしいと思います。
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