10年は、あっという間。こんなことを言うのは自分が年寄りになってきているからでしょうか。阪神大震災のとき震度7で攪拌された私にとっても、東日本大震災は次元を超えた出来事でした。震度7といえばそれ以上はないわけですから、震災経験については一家言持てたような気分になっていた私も、10年前、報道で流されてくる大津波や原発災害の事態には、まさに言葉を失ってしまいました。
言葉の仕事で生きてきた私にとって、「言葉を失うような気分」は、とても苦しいものでした。震災から8か月後、ボランティア・ツアーを組んでくれた団体があって、わずか1泊ではありましたが仙台・石巻を見に行く機会がありました。それは日頃運動不足のカタマリのようなへっぴり腰の広告業界人を集めて軽度の作業をさせていただき、見学の機会をいただいたようなツアーでしたが、遅まきながら、またささやかながら「実際を見る」機会が持てたことは、大変有難いことでした。
写真は、当時休館していた「石ノ森萬画館」の仮囲いで見かけた寄せ書き。「やれることをがんばりましょう 俺は仮設住宅作りがんば…」と読めます。「立つんだジョー」という、石ノ森章太郎さんの作品にかけたメッセージも見えますね。
あれから10年、阪神から26年、どこまで行っても復興に終わりはなく、新たな災害も襲ってきます。コロナも災害と考えれば、次の災害は、たえず「前の災害」とは異なった角度から私たちにインパクトを与えます。どんどん災害が増えてきているような実感を持ちながら、私たちは「東海・東南海・南海」も、「首都圏直下」もまだ経験していません。
「やれることをがんばりましょう」。これしかないのだと思います。誰でもできることはできるし、できないことは、できない。それでも私たちには、できることで、まだやっていないことが、たくさんあるのだと思います。
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