伝説の「村山カーブ」
- 2021/4/24
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- 交通, 神戸
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日本一お金持ちの村、神戸の「住吉」「御影」にはまだまだ見どころがあります。阪急神戸線の俗称「村山カーブ」。帰りの電車で一番前(大阪方)に陣取って、写真に撮ってきました。阪急神戸線は先輩の阪神に比べて山手をまっすぐ線路を敷いた…ことになっていますが、この御影駅~住吉川の間だけは、急に不自然なS字カーブで蛇行しているのです。地図で見るとわかりにくいですが、こうやって前に立つと、たしかに…。特急電車もこの区間だけは徐行運転をせざるを得ません。
こうなった理由は、今は香雪美術館が建っている、旧朝日新聞社主・村山家の広大な敷地。阪急が線路を敷こうとしたとき、ここにはすでに村山家ほか住友、鐘紡などの重鎮が居を構えていて、その庭先を削って電車が突っ切ることに反対運動をした。自分たちで工事費を出すから(そのへんがすごいな)地下にしてくれとまで言った。ところが地盤が固くて地下化もできず…。関西財界の大物たちを相手にしては小林一三も強引なことはできず、泣く泣く北側に急カーブでよけて線路を通したというおとぎ話のような実話です。もう101年も昔の話。
小林一三はトンネルが嫌いで、翁の生前に阪急として開通させた区間には1ヵ所もトンネルがなく、両側に入口がある中間トンネルは今でもわが千里ニュータウンの千里トンネルしかありませんが、この村山カーブの一件が苦い記憶になったのかもしれません。
ということは、阪急神戸線が開通した当時(1920年)、すでにこの界隈はある程度宅地化されていたということですね。
21世紀になっても阪急は涙ぐましい努力を重ね、2006年にビミョーに線形改良をしてそれまでの70km/h制限を90km/h制限にまで緩和したそうです。
電車の線路まで曲げる大金持ちの勢力。すごい話ですが、そんなエピソードがあるのも「町の個性」の一部のような気がします。
コメント
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私はこのカーブの近くに住んでいます。この辺りを走る阪急は「The阪急」という感じです。ただ、こうカーブの近く、岡本〜御影間の住吉川にかかる鉄橋(橋梁)がどうも変なんです!
鉄橋上部の構造物が川幅よりも寸足らずです。知り合いに、この鉄橋は梅田辺りから持ってきたとも聞いたこともありますが詳細は不明です。
また、神戸に来る機会がありましたらぜひ見てやって下さい!(^_^)/
それはいい所に!阪急の住吉川橋梁は、たしかに梅田から持ってきたものです。阪急の旧梅田駅は駅に入る直前、国鉄と立体交差していたのを覚えていますか?はじめは「阪急が高架、国鉄が地平」だったものを1934年に国鉄が高架化することになり、一夜で「阪急が地平、国鉄が高架」に逆転するという工事がありました。この時に使わなくなった鉄橋を解体保存していたものを、1938年の阪神大水害の後で復旧工事を行った際に組み立て直して再利用したそうです。