ふれあいの道・20年の歳月
- 2021/4/27
- 藤白台
- まちづくり, 自然, 定点観測
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遠くへは行けないし、このブログのメインはあくまでも「ニュータウン」ですので、初心に帰って地元・藤白台の定点観測を試みました。藤白台小学校正門前から、OPH(公社)の敷地内を通って北千里駅に向かう「ふれあいの道」。今は新緑が心地よい季節です。
2006年にこの地点の写真を出していました。撮影は2001年5月だったので、20年前です。古い写真では、団地はまだ建替前でした。今はフェンスから左側は民間マンションになり、右側のみがOPH(公社)の敷地になっています。建物の向きも大きさもすっかり変わってしまいましたが、遊歩道の曲がり方に特徴があり、たしかに同じ位置です。フェンスも新調されていますが、元は自転車置き場があった箇所だけフェンスが今も低くなっています。右側の「森」は、20年前ですでに大きくなっていますが、生け垣がずいぶん高くなっているように見えます。刈り込んでいても、どうしても少しずつ高くなっていくのでしょう。
この道が整備されたのは1976年で、2001年まで25年。整備当時は、こんな感じでした。この「ふれあいの道」は、公社敷地内の遊歩道として住民により整備され、右手の森も住民が植樹したものです。ニュータウン開発前からの緑でも、大阪府が開発の際に植えたものでもありません。まさに「住民によるまちづくり」です。歴史については、こちら(前編)とこちら(後編)にまとめています。2000年頃に「ふれあいの道」という名前が付けられ、この2001年の写真を見るとフェンスにプランターも掛けられています。
団地建替の際もこの道の「通り抜け」に関しては協議がなされ、大半が公社の敷地内として残されましたが「静かに通るならどうぞ」という対応になっています(民間マンションの敷地内になった部分も「通り抜けの許容は売却の条件」になり、とくに小学校正門前の部分は地区計画で定められています)。
2021年は、整備から45年ということになります。きょうも掃除をしている人がいました。いわば「地域の好意」で成り立ってきたこの空間、これからも皆のいい空間でありますように。
コメント
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自分が小さい頃に造られた道… いろんな思い出があります
最初は 自転車置場すらなかったですよね
ふれあいの道ができる前は A8棟の裏にもゴミ焼却場がありましたね
母が後年「あんたらなぁ 仕事の帰りになぁ 家族4人の夕食の買い物して
重たい袋が両手の指に食い込んでなぁ それであの長い階段上がってくんねんで
どんだけ大変かわかってるか!!」って 母親業の大変さを説いてくれました
(母親業なんて言い方は今のご時世アウトかもしれません)
幼少の記憶がいろいろよみがえってきました
ありがとうございます
このルートは「急な階段」か「ゆるいスロープ」しかありませんからね。この道ができたいきさつを知っている人も減ってしまってOPH外の人も「なんとなく」通っていますが、法的な公道でないことは変わらないのです。地域にとって大切な道で、「なんとなく」が許容され続けるためには、このルートの物語を伝え続けていくことが必要です。